ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Karen Thompson Walker の “The Age of Miracles” (2)

 雑感にも書いたようにぼくはSFの名作をかなり読みのこしているので、これはあくまでも勝手な推測だが、本書で展開されている終末の世界は、もしかしたら前例があるかもしれない。「太陽嵐が吹き荒れ、強い放射線が降りそそぐ」事態というのは、どこかで読んだことがあるような気がする。よしんばそれが勘違いだとしても、とにかく終末の世界とは、多少なりとも似通ったものであろう。
 それゆえ、「終末テーマのSFとして……新味は少ない」と昨日のレビューに書いたのだが、それよりぼくが気になったのは、こういう破滅的な状況を描くことにどんな意味があるのか、という疑問である。例によってミもフタもない話だが、なぜこんな状況でなければならないのか、とぼくは数少ないSF体験で考えることが多く(きっと読んだ本がわるいんでしょう)、その理由もあってますますSFから遠ざかってしまった。
 要するに、終末の世界でしか描きえない、少なくとも、終末においてすこぶる効果的に描きうる人間の姿とはどんなものか。この観点に立つと本書はいささか食い足りない。なるほど暴力事件が多発し、衝動的な行動が目だつようになった、という記述はあるのだが、それがたいして掘り下げられるわけではないし、そもそも当たり前すぎる内容である。
 また、日増しに1日の時間が長くなる中で、従来どおり1日24時間のシステムを守る多数派が、real time で暮らそうとする少数派を迫害するくだりにしてもかなりソフトで、恐怖のディストーピア小説、たとえば『1984年』や Margaret Atwood の "The Handmaid's Tale" などを読んだ目でながめると、本書における迫害はちっとも怖くない。(ちなみに、real-timers のコロニーの一つが Circadia と呼ばれるのは、「24時間周期の」という意の circadian に Arcadia を引っかけたものでしょう)。
 とまあ、いろいろ重箱の隅をつついてきたが、危機に瀕すれば瀕するほど、ひとつひとつの出来事がその人間にとって重要な意味を持つようになることも事実である。つまり、主人公の少女ジュリアが「天変地異に遭遇することによって本来平凡な通過儀礼が重みを増し、親しい隣人や優しい祖父、そして少年などへの思いを深めていく」。ここでしょうね、読みどころは。
 「青春小説としても新味は少ない」とレビューには書いたものの、「最後の一文のように、定番ながら感動的なくだりもある」。(その一文のヒント。映画『ミスティック・リバー』のあの道路にのこされたのは……)。それどころか、読んでいる最中はそれこそクイクイ読める作品であり、ぼくのように屁理屈をこねず、素直に楽しむのがいちばんでしょう。楽しんだあとにケチをつけるのは「分析屋」のわるいクセです。