ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Irene Nemirovsky の “All Our Worldly Goods” (2)

 今日は出勤日で、しかもけっこう仕事があり、〈スタバ〉に寄るゆとりもなく帰宅。疲労困憊しているが、一杯やるまでに何とか昨日の続きを書いておこう。
 本書は内容的に "Suite Francaise" への導入編といったところだ。同書が第2次大戦勃発時のパリから始まるのにたいし、"All Our Worldly Goods" のほうは、フランスがドイツ軍によって占領された1940年で終わる。面倒くさいので検索はせず、本の内容からのみ推測すると、おそらくこれは、ロシア系亡命ユダヤ人であった Nemirovsky が多少なりとも落ちついて執筆活動に専念できた最後の作品だったと思われる。同42年に彼女はアウシュヴィッツで死亡しているからだ。
 未完に終わった "Suite Francaise" の原稿は彼女が肌身離さず持ちつづけ、死と隣り合わせの限界状況の中で書き綴ったはずだが、"All Our Worldly Goods" のほうは、たぶん完成原稿を出版社なりエージェントなりに渡していたのではないか。それゆえ戦後まもなく、1947年に出版されたのだろう。これにたいし、"Suite Francaise" が彼女の死後半世紀以上もたった2004年になってようやく刊行された理由については、興味がなく調べたこともないのでよくわからない。そもそも誰も原稿の存在に気づかなかったとか、そういうことだろうと想像している。
 と、ぼくにしては珍しく書誌的な話題にふれているわけは、"All Our Worldly Goods" の執筆動機として Nemirovsky は、20世紀初頭からフランス人が市民生活のレヴェルで何を考え、何を感じ、何をしながら結局、第2次大戦に巻きこまれたのか、という記録をまとめておきたかったのではないか、と思われるからである。その記録を作成することによって、自分たちは今までこう生きてきた、だから占領下にあってもこう生きつづけなければならない、とレゾンデートルを確認する。それが本書のねらいだと思う。"All Our Worldly Goods" とは、まさに言い得て妙のタイトルである。
 この確認作業に際し、Nemirovsky のすばらしい点は、人間の本質的なエゴイズムに目をむけ、「決して綺麗事ではない庶民像と庶民生活を容赦なくあばきだす」と同時に、「人間の美点もまた熱意をこめて」描きあげ、こうした「二面性をかかえながら人間が生きつづけることへの希望」を占領下のフランスで語っていることである。本書の執筆から2年後、彼女がアウシュヴィッツで死亡した事実を思うと、ふだんダメ人間のぼくでも粛然とならざるをえない。
 ともあれ、こういう作品を平和な時代に読んだあと、星印で評価することに何の意味があるのだろう……と疑問を感じながら採点してしまった。英米の最新作ではあまり出会うことのない世界がここには広がっている。文学の夏ですなあ。