ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Tan Twan Eng の “The Garden of Evening Mists” (1)

 今年のブッカー賞最終候補作、Tan Twan Eng の "The Garden of Evening Mists" を読了。さっそくレビューを書いておこう。なお、このレビューは昨日のショートリスト http://d.hatena.ne.jp/sakihidemi/20120911 と、7月26日のロングリスト http://d.hatena.ne.jp/sakihidemi/20120726 にも追加しておきました。

[☆☆☆★] いわゆる従軍慰安婦南京大虐殺、日本の戦争責任など、日本人にとって看過することのできない重大な歴史問題、政治問題をはらんだ文字どおり問題作だが、純粋にフィクションとして見ると特筆すべき点が多い。まず自然描写の美しさ。マレーの山奥にある日本庭園が舞台とあって、木々や草花、風のそよぎをはじめ、微妙な色や〈空気の濃淡〉にいたるまで静かな筆致でみごとにとらえられている。この技法は繊細な心理描写にも当てはまり、とりわけ、戦争体験を通じて日本人に怒りと憎しみをおぼえる中国系の女性ユン・リンと、彼女が造園術を学ぶべく弟子入りした亡命日本人の庭師アリトモのふれあいが感動的。こまかい心のひだに染みこんだ深い悲しみと喪失感がしみじみと伝わってくる。老いたユン・リンと面会した元神風特攻隊員とその上官のやりとりなどにも、いい知れぬ痛切な思いがこもっている。が一方、善玉と悪玉が峻別され、大半の日本兵は蛮行をおかす鬼畜のごとき存在として描かれる。これと枯山水弓道、浮世絵などを通じて浮かびあがる日本人の精神文化とのギャップが激しい。よしんば蛮行が事実であったとして、〈もののあはれ〉を愛する民族がなぜ「鬼畜」と化したのか。そういう根本問題を素どおりして、一部の良心的な人間と大半の獣人に色分けすることには大いに疑問をおぼえる。日本人にかぎらず、パスカルのいうように、人間とは「天使でも獣でもない」存在ではないのか。図式的な人間観が根底にある以上、美しい自然描写も巧みな心理表現もその魅力は半減するといわざるをえない。図式的な人間観は、図式的な歴史観にも通じている。日本における刺青の歴史は詳しく書かれているが、なぜ日本が太平洋戦争へと突入していったのかという説明はいっさいない。列強の衝突や植民地の独立という大きな歴史の流れも無視されている。つまり、歴史の光と影を影一色に塗りこめているわけであり、こうした暗黒の歴史観が土台にあることを思うと、〈空気の濃淡〉や心のふれあいへの感動もすっかり色あせてしまう。ただし、作者の歴史観、人間観に共鳴する読者も多いはずで、本書はおそらく読者によって評価が分かれるという意味でも問題作だと思う。