ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Laurent Binet の “HHhH” (3)

 論より証拠、「本書における実況中継が、たんなる事件の再現のための手段にとどまっていない」箇所を引用しておこう。ゲシュタポの最高司令官、ラインハルト・ハイドリヒの暗殺犯が襲撃に取りかかる瞬間である。
I think I'm beginning to understand. What I'm writing is an infranovel.
The moment is getting closer, I can feel it. The Mercedes is on its way. It's coming. Something floating in the Prague air pierces me to my bones. The twists of the road are spelling out the destiny of a man, and of another, and another, and another. I see pigeons take off from the bronze head of Jan Hus and, in the background, the most beautiful view in the world: Tyn Church with its sharp black turrets, whose grey and evil-looking facade is so majestic that it makes me want to fall to my knees every time I see it. The heart of Prague beats in my chest. I hear the bells of the tramway. I see men in grey-green uniforms, I hear their boots clicking on the cobbles. I'm nearly there. I have to go. Yes, I must travel to Prague. I have to be there when this happens.
I have to write it there. (pp.205-206)
 本書では章の数が同時にページ数を示しているが、実際には、ある章が数ページにまたがる場合もある。206章が一例で、ここでは上のような実況中継が3ページもつづく。
 とりわけ、I can feel it./ I see ..../ I hear ..../ I have to go. .... I have to be there when this happens. といったくだりに、従来の現在時制の文にはなかった作家の目、作家の意識が明らかに読み取れる。「暗殺が今そこにある事件として語られ、事件と平行して、小説が今そこで生まれつつある作品として書き進められ」ている箇所である。こういう作法をぼくは、「歴史との対話、自作小説との対話」といささかオーバーに評したわけだ。それが作者の言う 'infranovel' を生み出しているのである。
 ここでは作家は、神のごとき全知全能の存在として自分の作品を掌握しているのではない。「細部にわたって史実かどうかを検証。同時に、その結果を小説化していくプロセスをも検証」しながら作品を仕上げている。少なくとも、読者にそう思わせるような書き方なのだ。こうした叙述スタイルゆえに、本書は「従来のナチス物、ホロコースト物の定型を打ち破った画期的な作品」となっているのである。ひょっとしたら、ナチス物にかぎらず、画期的な歴史小説と言えるかもしれない。