ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Beryl Bainbridge の “Master Georgie” (2)と Man Booker Best of Beryl

 Beryl Bainbridge はブッカー賞「悲運の女王」だった。同賞のショートリストに史上最多、5回もノミネートされながら、ついに一度も受賞しないまま2010年に物故してしまった。
 その栄誉をたたえ、2011年、落選作5冊の中からファン投票でベストワンを選ぶ企画 Man Booker Best of Beryl がもよおされ、みごと栄冠に輝いたのがこの "Master Georgie" である。ぼく自身の評価とは異なるが、こんな作品が大好きなのがイギリス人かと思うと、その国民性の一端がうかがえ、ニヤっとさせられる。
 ベインブリッジは、正直言って中堅作家どまりだった。日本ではあまり話題に上ることもなかったと思うが、ちょっとした会話や情景描写にも、いかにもイギリス文学らしい香りがただよっている。持ち味は、"Master Georgie" の特色でもあるブラック・ユーモアとドタバタ喜劇だろう。
 以下、〈追悼ベリル・ベインブリッジ〉と題した昔の記事と重複するが、本書でようやく5冊ぜんぶ読みおえたので、各作品のレビューをまとめて再録しておこう。未読の方は "The Dressmaker" あたりから読まれるといいでしょう。ぼく自身のベストは最初の3作どれかで目移りがする。お気に入りということなら、"The Bottle Factory Outing" かな。

"The Dressmaker" (1973)

[☆☆☆★★★] 衝撃の結末に愕然となり、読みはじめたときから心に引っかかっていた疑問を解消すべく、冒頭の第0章を再読したところ二度びっくり。なるほど、そういうことだったのか! これはきわめて巧妙に仕組まれた一種のミステリである。そもそも、終幕までミステリであることにまったく気がつかなかった。舞台は第二次大戦中のリヴァプール。若い娘がアメリカ兵と出会い恋をする。その恋を見守るのは、ドレスの仕立てをしながら、娘を母親代わりに育ててきた初老の伯母と、その妹で、早くに夫を亡くしたがまだ色気たっぷりの伯母。そんな人物関係が次第に見えてきたところで、これはてっきり、ジェーン・オースティンあたりを鼻祖とする家庭小説に属するものだろうと思った。たしかに丹念な人物造形、鮮やかな場面や視点の変化、当意即妙の会話などはとても楽しい。しかしながら娘の恋をはじめ、描かれる事件はしょせんコップのなかの嵐にすぎないのではないか。……そこへ最後、劇的な展開が待っていた。そのサスペンス・タッチはヒッチコックばりで、思わず息をのんでしまう。それにしてもみごとにダマされた。まさにウェルメイドとしかいいようのない作品である。

"The Bottle Factory Outing" (1974)

[☆☆☆★★★] ああ、おもしろかった! こんなにケッサクな喜劇小説に出会ったのはひさしぶりだ。まっ先に連想したのはヒッチコックの「ハリーの災難」。あの名画と同じ味わいのユーモア感覚に充ち満ちた作品である。つまりブラック・ユーモア。終盤のオフビートな展開には、「なんじゃ、これは!」と叫びながら、ひとり盛りあがってしまった。当初からヘンテコなシチュエーション・コメディの要素が多々あり、ロンドンのワイン工場で働く若い女が作業主任からセクハラを受けたとき、防寒のため衣服の内側に詰めこんでいた新聞紙が、主任のおさわりでガサガサ音を立てる。主人公はあとひとり、この女と同居している女工員で、彼女たちの境遇や性格、内面がじっくり描かれるうちに物語が進むという、いかにも英国小説らしい展開だ。それが上のようにすこぶるユーモラス。やがてタイトルどおり、工員たちが日帰り旅行に出かけたところ、とんでもない珍事件が発生。それから先はもう、ただただ奇想天外な話としかいいようがない。こういうブラック・ユーモアを発揮したシチュエーション・コメディこそ、いまは亡きベインブリッジの十八番だったのかもしれない。

"An Awfully Big Adventure" (1990)

[☆☆☆★★★] 大向こうをうならせる傑作ではないが、ウェルメイドという形容がぴったりの佳篇。第二次大戦後まもないリヴァプールのレパートリー劇場を舞台に、お色気たっぷりの、しかしちょっとオフビートな16歳の娘が、これまた少々ヘンテコな芝居関係者と接するうちに色恋沙汰その他、さまざまな事件に巻きこまれる。登場人物はかなり多いが、ウィットに富んだ会話、ユーモアあふれる描写をベースに、短いカットを小気味よくつなぐことで、それぞれの人物像が鮮やかに浮上。おもしろおかしい人間模様、人生模様が活写される。総じてブラック気味のコメディで、落語の名人芸にも通じる語り口はやはり、英国小説の長い伝統に根ざしたものというべきだろう。過去になんどもブッカー賞にノミネートされながら、いまだ栄冠に輝いたためしのないベインブリッジだが、小説技術という点ではもちろん巨匠の域に達している。それなのに本書が90年に受賞を逃したのはなぜか。対抗馬の出来はべつとして、その理由を考えながら至芸を楽しむのも一興だろう。

"Every Man for Himself" (1996)

[☆☆☆★] タイタニック号の遭難物語。とくれば映画でおなじみの題材で、途中はメロドラマ、最後は大スペクタクルと相場が決まっている。この定型を、技巧派で知られた故ベインブリッジがどうやぶるか期待したのだが、残念ながら凡作。彼女はやはり、小市民社会で起きる小さな事件を扱うのが得意だったようだ。その特色は途中経過によく示されている。数多くの人物をつぎつぎに登場させ、適度にユーモアをまじえながら人物同士の交流だけで話を進める筆運びはまさに職人芸。船が氷山に衝突後も、それまでのメロドラマなど市井の物語がしばらくつづき、刻々と迫る悲劇とのコントラストが鮮やかな点もみごと。が、なにしろ展開がわかり切っているうえにアクション・シーンが生ぬるく、焦燥感はさほど高まらない。大きな悲劇を描くには、人間もまた偉大でなければならないはずなのに、タイタニック号にふさわしい身の丈の人物はだれもいない。作家が守備範囲をまちがえた作品である。

"Master Georgie" (1998)

[☆☆☆★★] ベインブリッジ十八番のブラック・ユーモアが遺憾なく発揮されたドタバタ喜劇。売春婦相手に腹上死した父親の死体を、息子の医学生ジョージーが自宅の寝室に運びこみ……という開幕からしてケッサクだ。トラの皮の敷物にびっくりして転んだ女が流産。架空の婚約をめぐる決闘騒ぎ。などなどコミカルなエピソードや、ユーモラスな会話が随所に盛りこまれ、よくまあヘンテコな物語を思いついたものだと感心させられる。後半、ジョージーが軍医としてクリミア戦争に従軍してからは悲惨な戦場のようすも描かれるが、銃弾の飛びかうなか、おさわりシーンがあったかと思うと、つぎにはグロテスクな死体がごろごろ。まさにエログロナンセンスのきわみというしかない。これを書いたのが女流作家なのだから、イギリスとはまことにケッタイな国である。