雑感でもふれたように、Alice Munro の最新短編集 "Dear Life" はオマケで☆4つ (80点) だったので、彼女の実力はこんなものではないだろうと思い、手に取ったのが本書である。こちらは文句なしに☆4つ。ぼくの評価の上限、☆☆☆☆★★ (90点) に迫る出来ばえだ。(何度も書きますが、星のつけ方は、故・双葉十三郎氏の『西洋シネマ体系 ぼくの採点表』のパクリです)。
テーマそのものは、「幼い娘から大人の女性へと成長していく少女の通過儀礼」ということで平凡かもしれない。が、そんな紋切り型ではとても要約しきれないほど、ここには「すこぶる濃密な」世界が広がっている。その意味ではまことに非凡である。
その非凡さを生みだしている要素はいろいろあるが、「何より驚くのは冷徹で繊細な観察眼だ」。端的な例をひろってみよう。'I turned around, went back into the hall to look in the dim mirror at my twisted wet face. Without diminishment of pain I observed myself; I was amazed to think that the person suffering was me, for it was not me at all; I was watching. I was watching, I was suffering.' (p.264)
手元に本がないので正確な引用はできないが、たしかサルトルの『ボードレール論』にも似たような自己観察の話が出てきたはずだ。こういう自己観察の結果、目にするものはもちろん、自分のありのままの姿である。'I was free and I was not free. I was relieved and I was desolate.' (p.263)
「ありのままの姿」とは本来、自分の心の中に矛盾をはらんだ存在のことである。このブログで再三再四、引用してきたパスカルの言葉にあるように、「人間は天使でも獣でもない」からだ。パスカルほど哲学的な内容ではないにしても、上のような「自己観察により、矛盾した感情が同時にえがかれる」くだりに出会うのは、現代文学ではそうめったにあることではない。
こうした自己観察はまた、現実生活への足がかりともなる。'Now at last without fantasies or self-deception, cut off from the mistakes and confusion of the past, grave and simple, carrying a small suitcase, getting on a bus, like girls in movies leaving home, convents, lovers, I supposed I would get started on my real life.' (p.264)
このように、「(内的)現実をしかと見すえ」た結果、ひとりの少女が real life へと歩みだす。これこそまさに真の通過儀礼である。Alice Munro は、以上のような観察眼の持ち主という意味でリアリストと呼んでいいかもしれない。感服しました。