ニューヨーク時間で15日、今年のピューリッツァー賞が発表され、小説部門では Adam Johnson の "The Orphan Master's Son" がみごと栄冠に輝いた。ぼくはつい先日、最終予想で同書をイチオシにあげ、「この秀作をもうそろそろ、ちゃんと評価してほしい」と書いたばかりだけに、ほんとにうれしい!
ちなみに、受賞作以外の最終候補作は、Nathan Englander の "What We Talk About When We Talk About Anne Frank" と、Eowyn Ivey の "The Snow Child" だった。両書とも P.Prize Com の予想にはなかった作品であり、その意味では意外な顔ぶれだ。なお、Nathan Englander の短編集は、昨年のフランク・オコナー国際短編賞の受賞作でもある。以下、3作のレビューを再録しておこう。
[☆☆☆☆] かつては「地上の楽園」と信じる人びともいたが、相変わらず秘密のヴェールにつつまれながらも、いまや
独裁国家であることが明らかな
北朝鮮。小説でもその恐怖の現実が描かれるのは当然だが、本書にはいくつか予想外のユニークな設定がある。まずこれが名画『
カサブランカ』の
本歌取りとなっている点だ。開巻、
工作員による日本人の拉致というショッキングな事件に絶句。脱北した漁民の美しい妻と
工作員のふれあいに情感がこもり、しんみりとなるが、驚いたことに第二部ではその
工作員が軍司令官となっている。その変身のいきさつが彼自身の行動記録と、「司令官」を取り調べる尋問記録、そして「司令官」の物語を流す国営放送という三次元中継でしだいに明らかにされる。この複雑な語りの構造と、第一部もふくめた彫りの深い人物造形がじつにみごと。また、国民的女優でもある「司令官」の妻が「これは夢なのか」と洩らすように、現実がフィクションと融合し、
マジックリアリズムの世界に近づいている点も見逃せない。
全体主義の体制では〈
不都合な真実〉が隠蔽され、真実の代わりにフィクションが真実となる。
全体主義の現実とは、まさに
マジックリアリズムの世界なのである。それを端的に物語る漫画チックな結末はケッサクというしかない。しかも、心臓バクバクものの緊張がピークに達した瞬間、
北朝鮮版『
カサブランカ』であることがわかる設定の妙。「秘密のヴェールにつつまれ」た国を舞台に、よくぞここまでフィクションを組み立てたものとおおいに賞賛したい。
[☆☆☆★★★] 人生にはさまざまな真実の瞬間がある。べつに深遠な哲学的真理でなくても、身近な人間そして自分の心の奥に秘められた思いが、ふとした事件をきっかけに浮かびあがる。本書は、そういう日常生活における真実の瞬間を鮮やかにとらえた好短編集だ。タイトルどおり各話とも
ユダヤ人の世界が描かれ、
ホロコーストやその後日談、人種差別の実態など、題材としてはおなじみのものが多い。が、活きのいい力強い文体に惹かれ、コミカルなやりとりや出来事を楽しんでいるうちに、やがて緊張が高まり息苦しくなる。妄想や執念がほとんど非現実の世界にまで達し、背筋の凍るような事件が起こる。感情がむき出しになる。それは人生の真実が凝縮された瞬間であり、どの物語でも、読みはじめたときから世界が一変したかのような衝撃を受ける。まさに短編小説の醍醐味だろう。英語はイディッシュも混じるなど語彙的にむずかしめで歯ごたえがある。
[☆☆☆★★★] 現実とファンタ
ジーの世界が奇妙にいり混じった異色の現代版フェアリー・テイル。現代といっても舞台は
1920年代のアラスカで、全三部の冒頭にそれぞれ挿入された民話や童話が主筋をほぼ形成。子どものいない夫婦ジャックとメイベルが新天地を求めて最後のフロンティアへ。過酷な自然環境のもと耐乏生活をしいられていた矢先、雪でつくった少女の像に命が吹きこまれたのか、それとも山中で死んだ男の娘が訪ねてきたのか、「雪娘」とジャック夫婦のふしぎな交流がはじまる。明らかに妖精だが、いかにも人間らしい雪娘。同様に、大枠としてはフェアリー・テイルながら、狩猟や農作業など開拓民の生活が活写される、すこぶる人間的な現実。書中の言葉を借りれば、雪娘は親子の「愛と献身、希望と不安」の象徴であり、それらを端的に物語る山場がときに楽しく、ときに切なく、ときにサスペンスフルで一気に読ませる。子どものいない夫婦に子どもがやってきた。要はそれだけの話をかくもみごとな「現代版フェアリー・テイル」に仕立てあげるとは、およそ新人作家らしからぬ力量である。