ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

“TransAtlantic” 雑感 (1)

 超多忙の毎日からようやく解放され、いままで途切れ途切れに読んでいた今年のブッカー賞候補作、Colum McCann の "TransAtlantic" に今日から本格的に取りかかった。McCann の作品を読むのはこれで3冊目である。
 Colum McCann というアイルランドの若い、いい作家がいるという情報をキャッチしたのはずいぶん昔の話だが、実際に読んでみたのは4年前だ。"Let the Great World Spin" が全米図書賞を受賞したことを知り、そういえば第一短編集、"Fishing the Sloe-Black River" (93) がずっと積ん読だったな、と思い出した。中身はもうすっかり忘れてしまったが、「いい感触」だけはまだありありと残っている。当時のレビューを再録しておこう。

Fishing the Sloe-Black River

Fishing the Sloe-Black River

[☆☆☆★★★] 人は日常いろいろなことを考え感じながら生きているが、時に感情が凝縮し純化する瞬間がある。そんな人生の点景を鮮やかにとらえた短編集だ。病に倒れ、あるいは亡くなった肉親への愛、ふとよみがえる夏の日の苦い思い出、夢破れた老人の妄想……。「人にはそれぞれ呪いがある」という書中の言葉どおり、何らかのこだわりを心に秘めた人々が、そのこだわりを言葉で、行動で一気に吐露する。喪失感や挫折感、逆にそれらを解消しようとする衝動を描いた物語が多いが、この「公式」はもちろん全編には当てはまらない。要約するならやはり、人生のいろいろな局面で感情が一瞬、結晶化する話を集めたものというべきだ。事件らしい事件がほとんど何も起こらない表題作のあと、激しいアクションをともなうアイルランド版『銀河鉄道の夜』が続くといった全体の構成も見事だし、各編とも場面転換が鮮やかで、スピード感あふれるテンポのいい文体で過去と現在が交錯。登場人物が活写されるうちに、陽気な饒舌や、一方、静けさに満ちた行間から、ふと哀感が漂ってきて胸を打たれる。ニューヨークやテキサスなどアメリカを舞台にしたものと、アイルランドの漁村や田舎町などが舞台のものに分かれ、後者の場合、一般の辞書にはない口語や方言が頻出するものの、話の流れに乗ってしまえば解読には困らない。
 つぎに読んだのが、前述の09年全米図書賞受賞作、"Let the Great World Spin"。ツインタワーの綱渡りの場面が印象ぶかかった記憶がある。
Let the Great World Spin

Let the Great World Spin

[☆☆☆☆] 実質的には短編集と言っていい長編で、ニューヨークの今はなき世界貿易センターの新築当時、ツインタワーのあいだを綱渡りした男の実話を中心に、世紀の快挙を見聞きした人々の物語をまとめたものである。往年の名画『輪舞』と同じく、次々に主人公が交代して、それぞれの人生模様が描かれる。綱渡りをした男にとって人生最高の瞬間、それと時を同じくして別人の身に起きた最悪の事件。しかしそれはまた、第三者にとっては新たな人生の始まりを告げる契機でもあった、といったぐあいに、偶然の重なりをうまく利用しながら話をつないでいる。これを読めば読むほど、よかれ悪しかれ、人生には決定的な瞬間があることに思いを致さざるをえない。それがいつ、どんなかたちで訪れ、どれほど重大な意味を生みだすかは知るよしもない。そうした瞬間、つまり運命が過去・現在を通じて他人の運命と結びつき、おたがいにめぐりめぐって、ふしぎな人生の軌跡を描いていく。まさに「この世は輪舞」である。個々のエピソードとしては、肉親や恋人の死など喪失をテーマにすえたものが多く、行間からふと漂う静かな哀感に心を打たれる。一方、話者によっては陽気で饒舌、テンポのいい実況中継の場合もあり、静と動のコントラストが鮮やかで、これまた短編集の味わいだ。英語の語彙レヴェルは比較的高いが、決して難解というほどではない。
 というわけで、McCann はゴヒイキの作家といってもいいのだが、この "TransAtlantic" は、いまのところまだピンとこない……と書きかけたら、ふっと溜息をつきたくなるようなエピソードに出くわした。
 巻頭、短いプロローグがあるが意味不明。きっと、あとで読みかえしたら何のことか腑に落ちるのだろう。
 そのあと、どうやら2部構成のようで、第1部は3話からなる。それぞれ時代も登場人物も異なるが、共通点としては、ううむ、北米から大西洋をこえてアイルランドに渡った人間が出てくることくらいか。何やら短編集のおもむきである。
 第1部第1話は、史上初の大西洋無着陸飛行の話だ。といっても、主人公は有名なリンドバーグではない。あれは単独無着陸。そういえば、そうでしたな。で、これは同じ史上初でも、ぼくもいままで知らなかったが、リンドバーグの快挙の8年前、1919年にジョン・オルコットとアーサー・ブラウンの2人が達成した無着陸飛行である。
 内容にふさわしく、短いセンテンスが連続してスピーディー。緊張が高まるシーンもあるが、ま、以上の説明から想像できるとおりですな。
 第2話は1845年にさかのぼり、逃亡黒人奴隷の Douglas が主人公。奴隷制廃止を訴えた著作で有名になり、アイルランドの出版社の招待で講演旅行に出かける。ちょっと眠かった。
 「ふっと溜息をつきたくな」ったのはつぎの第3話だが、これから外出しないといけないので、例によって中途半端ですが、きょうはこのへんで。