ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

W. G. Sebald の “The Rings of Saturn” (2)

 「こまめにブログを更新していたのに、11月になってパタッと休止したのはどうしてか。何かあったのか」というメールを友人からもらった。
 なに、仕事三昧だっただけのことです。
 その友人は文学の門外漢だが(ぼくもまあ素人ですが)、文学に関心のある友人たちからはさっぱり連絡がない。ぼくがブログを書いていることはいちおう知らせてあるのだが、いままで感想のメールをもらったためしはほとんどない。たぶん、このブログを読んでもいないだろう。
 なんだか寂しい話のようにも聞こえるが、ぼくはむしろ、当然のことだと思っている。彼ら彼女たちとは、守備範囲というか好みというか、重なっている部分もあるが基本的に畑違いだからである。友人が書いたものだからといって、関心のない記事は読む気がしなくて当然だろう。ぼくもふくめ、ぼくのまわりはガンコ者ぞろいだな、とつくづく思うことがある。
 では、会っても文学の話をしないかというと、そんなことはない。夏休みにも久しぶりに大学時代の友人と会い、おたがい専門家ではないので突っこんだ話にはならなかったものの、あれを読んだ、これを読んでいる、といった雑談で盛り上がった。
 ことほど左様に、文学をかじっている者は閉鎖的にして開放的、内向的にして外向的、求心力と遠心力を兼ねそなえた人種なのでは、という気がする。さらに言えば、閉鎖性、内向性、求心力といった要素が文学には多少なりとも不可欠なのではあるまいか。
 あえてむずかしく言うと、自分の中にある内宇宙を突き進み、存在の根底を掘り下げる行為が文学には要求される、とぼくは思う。すくなくとも、そういう仕事がさほど認められない作品にはぼくはあまり関心がない。
 その点、Sebald の作品世界は、読めば読むほど身も心もドップリつかってしまいたくなるものだった。これもまあ、ブログを休止した理由のひとつですな。