ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

W. G. Sebald の “The Rings of Saturn” (4)


 きのうも写真を載せたが、これがその昔、ぼくの住んでいた長屋でいまは無人。たまたま出会った近所の人の話によると、部屋なのか家なのか隣りはいつぞやの台風で倒壊し、このとおり更地になっている。
 と、こんなことを書くのも Sebald の真似で、"The Rings of Saturn" では随所に写真や図版が挿入され、それが「モノクロームの世界」、「荒涼とした沈黙の世界」の一環となっている。第2章の冒頭から引用してみよう。
It was on a grey, overcast day in August 1992 that I travelled down to the coast in one of the old diesel trains, grimed with oil and soot up to the windows, which ran from Norwich to Lowestoft at that time. The few passengers that there were sat in the half-light on the threadbare seats, all of them facing the engine and as far away from each other as they could be, and so silent, that not a word might have passed their lips in the whole of their lives. (p.29)
.... and at the next station, the halt for Somerleyton Hall, I got out. The train ground into motion again and disappeared round a gradual bend, leaving a trail of black smoke behind it. There was no station at the stop, only an open shelter. I walked down the deserted platform, to my left the seemingly endless expanses of the marshes and to my right, beyond a low brick wall, the shrubs and the trees of the park. There was not a soul about, of whom one might have asked the way. (p.31)
 べつにここが最適の箇所というわけではなく、ほんの一例にすぎない。主人公の男は時に人と出会い、会話をかわすものの、とにかく「そこに広がっているのはモノクロームの世界だ。鉛色の雲が重く垂れこめ、人影は少なく、それどころかしばしば無人。昔は産業の盛んだった町も、多くの人でにぎわった駅も通りもいまではすっかりさびれ、荒涼とした沈黙の世界と化している」。上の駅も、昔はにぎやかだったむねが記されている。
 こんな風景の描写を読み、写真を見ているうちに、「その孤独と寂寥、悲哀が読む者の心にも深く静かに伝わってくる」わけだ。上のくだりを読んで、ぼくが反射的に思い出したのは、ふるさと愛媛の宇和島にほど近い、予土線の務田(むでん)という駅である。

 おそらくまだ小学校に上がる前だろう、ぼくは夜更けにこの駅に立った記憶がある。といっても、はっきりここだと憶えていたわけではなく、当時のことを生前の父に尋ねたところ、それは親戚の結婚式に招かれた晩の帰りのことだったと判明。昔はもちろん、写真右手の屋根やベンチなどなく、闇の中に電球の明かりがぼんやりともっているだけだった。あの暗い夜、無人のホームで両親ともども汽車を待っていたときの光景が、半世紀以上もたったいま、どうしてまだ心に焼きついたままなのだろう。
 この駅から宇和島市内の高校に通っていたぼくの同級生が列車に乗り遅れそうになり、そのころまだ手動開閉式だったドアをこじあけ、ホームを走りながら飛び乗ったという話を聞いたことがある。昔はまったくのどかな時代だったものだ。
 また、近くを走るバスに乗っていたところ、運転手が「次は、ど田舎、ど田舎」とアナウンスするのを聞き、かみさんともども爆笑したくなるのを必死に我慢した憶えもある。バス停の看板を見ると、正しくは〈土居中〉だった。
 などなど、"The Rings of Saturn" を読んでいると、ほんとうによしなしごとが心に浮かんでくる。それはもしかしたら、大げさにいえば心の原風景をさまよい、自分のアイデンティティを確認することかもしれない。本書の主人公もそんな旅をつづけているのではないだろうか。