ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Klingsor's Last Summer" 雑感 (5)

 昨日はうっかり、「善から悪が生まれる」のが「見方によっては人間にとって最大の不幸」などと知ったかぶりで書いてしまったが、もちろんぼく自身、この真実を身にしみて実感しているわけではない。"A Child's Heart" の主人公の言葉を借りて言えば、せいぜい 'almost to the verge of understanding and consciousness' くらいだと自覚している。
 が、いちおう頭の中で理解しているつもりのことをまとめたのが、ちょうど7年前、本ブログでえんえんと書き綴った「"Moby-Dick" と『闇の力』」である(http://d.hatena.ne.jp/sakihidemi/20081029/p1)。それゆえ今回は〈理論編〉をカットし、最近ぼくなりにぼんやり感じている、文字どおりの雑感を書いておこう。
 この中短編集を読んだのは去る8月で、ちょうど安保関連法案をめぐり、やれ「戦争法案」だ、いや「平和安全法案」だと日本中で(?)大騒ぎ(?)しているころだった。そんなときにのんびり、今や時代遅れかもしれぬヘッセなんぞを読んでいたのだから、これぞまさしく極楽トンボなのだが、それでも極楽トンボなりに気づいたことがある。待てよ、新聞やテレビなどで報道されている〈狂騒劇〉の実態は、まさしく '....how utterly two well-intentioned human beings can torment each other, and how in such a case all talk, all attempts at wisdom, all reason merely adds another dose of poison, creates new tortures, new wounds, new errors.' ではないのかな。
 大学時代、ぼくの通っていた大学では、学生運動セクト同士の争いが高じて〈リンチ殺人事件〉が発生。その後、構内で女子学生が鉄パイプをふるって相手を追い回したり、ゲバ棒を持った学生たちが、敵対する集団の立てこもる校舎に突入を試みたりする場面を目撃したこともある。
 ノンポリだったぼくは当時、それを見ても「スゲエ!」としか思わなかったが、今はこのように「いちおう頭の中で理解している」。彼ら彼女たちは決して悪人ではなかった。自分の正義しか頭になく、相手の正義を暴力で否定しようとする〈善人〉たちだったのだ。
 そんな「理解」にぼくが達したきっかけは読書である。いろんな本を読んだが、3冊だけ挙げると、まずパスカルの『パンセ』。われながら、「お殿さま、そればっかり」と言いたくなるほど本ブログで引用してきた箴言を性懲りもなく引くと、「人間は天使でも獣でもない。そして不幸なことに、天使のまねをしようと思うと、獣になってしまう」。
 それから英語で読んだ Herman Melville の "Moby-Dick" と、Fyodor Dostoevsky の "Demons" (実際は昔の Penguin Classics 版 "The Devils" で読んだのだが、いつか読む予定の Vintage Classics 版タイトルは "Demons")。両書は、上の箴言をドラマ化した小説と言えるかもしれない。
 とまあ、そんな「理解」で昨今の〈狂騒劇〉をながめると、鉄パイプやゲバ棒こそふるっていないけれど、「自分の正義しか頭にな」い「〈善人〉たち」という点では昔も今も同じだな、と思ってしまうのである。これ、バリザンボーを浴びそうな発言ですな。
(写真は、亡父が愛した愛媛県南予アルプスの山々。宇和島市内側から)。