ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Klingsor's Last Summer" 雑感(13)

 還暦もとうに過ぎると、運命というのはやっぱり本当にあるのかも、と思うことがある。「そう思えばそう思えるのが運命か」と、この夏、田舎の友人と話し合ったばかりだ。本との出会いしかり。
 その夏休み、田舎で "Klingsor's Last Summer" を読もうと思ったのは、雑感(1)でふれたとおり、中1のときに初めて邦訳で読んだ『クリングソル最後の夏』を「いつか、それも年を取ってから再読しようと思っていた」からだ。お迎えが来る前に、そろそろ読み返しておかないと……
 それゆえ、本書がまさか中短編集だったとは知らなかったし、お目当ての中編の前、ほんのイントロのつもりで読んだ "A Child's Heart" と "Klein and Wagner" がなんと、いまだに余韻が残っている夏の安保法案騒動と、読み方によっては関係のある内容をふくんでいようとは思いも寄らなかった。それも今、メモを頼りに改めて拾い読みしているうちに気づいたことが多い。個人の読書傾向が世相や時代の風潮を反映することはあるとしても、ぼくが手にしたのは、今や時代遅れかもしれないヘッセ。偶然の一致、といえばそれまでだが、「そう思えばそう思えるのが運命か」という気がしないでもない。
 さて、前回の "Klein and Wagner" からの引用部分をぼくなりに要約すれば、「善悪を、正義と不正義を峻別するのは未熟な精神である。峻別された善悪、正義不正義はレッテルに過ぎない。善悪の真実は善悪の彼岸にある」。
 何やら禅問答、観念論のようだが、この問題に関する理論編、本ブログの旧稿「"Moby-Dick" と『闇の力』」と言わないまでも、せめてブログ再開後の雑感をときどき読んでくださっている奇特な方なら、ぼくの言わんとするところがピンと来るかもしれない。……長くなりそうなので、今日はこれにて。
(写真は宇和島城宇和島市街。城は市の中心にありシンボルである)。