ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"The Red and the Black" 雑感(6)

 主人公 Julien Sorel にかんする対比は、だいたい今まで報告したとおりである。では、彼がのちに 'You must know that I have always loved you, that I have never loved any one but you.' (p.514) と告白することになる、いわば永遠の恋人 Mme de Renal の場合はどうだろうか。
 今回読みはじめる前にあった記憶では、夫人はたしか奥ゆかしい女性で、Julien が次に関係する Mathilde のほうは高慢ちきな娘だったはず。……実際、この記憶は正しかったが、ほかにも夫人自身の内面に対照的な要素があるとは知らなかった。というか、昔はそんなことにはさっぱり関心がなかったのではないか。
 さて Julien 19才、Renal 夫人は30才。それだけ年齢差があれば、夫人は Julien 以上に人生経験を積んでいるはずだが、じつはなんと尼僧院育ちの箱入り娘。強欲な夫をはじめ、俗物ぞろいの田舎町にあって世間の垢に染まらず、まるで乙女のように純情可憐な女性、'a naive soul' (p.22) という設定である。
 そのあたり、昔はおそらく、なんてすてきな人なんだろう、と素直な気持ちで読んでいたものと思うが、年を取った今では、そんなバナナ、とおやじギャグのひとつも飛ばしたくなる。とはいえ、Stendhal はそういう読者もいることを当然想定していたはずで、小さなエピソードを丹念に積み重ね、Renal 夫人の清純さを大いに説得力のあるものに仕上げている。何を説得しようとしているのか。もちろん、Julien との不倫が自然の成り行きだったと言いたいわけである。'Mme de Renal .... had never in her life either felt or seen anything the least in the world like love. .... Thanks to this ignorance, Mme de Renal, perfectly content and constantly preoccupied with Julien, was far from feeling the slightest self-reproach.' (p.52)
 夫人が恋に落ちた理由としては、Julien の美貌に惹かれたり、貧しさに同情したり、といった一面も当初はあるのだが、本質的には、純情な人間同士が惹かれあう、というのが二人の恋の真相である。そうなると、さすがにおやじギャグは引っ込めざるをえない。それどころか、Julien が破滅することをすっかり忘れていたぼくは、全巻最後の一文を読んで柄にもなく目頭が熱くなってしまった。やっぱり清純な恋は悲しいまでに美しい。
 ……おっと話が飛びすぎた。ぼくは上の引用部分を読んだとき、人物造形の説得力は認めるものの、おいおい、人妻がそんなにあっさり恋をしていいのかよ、とこれまた柄にもなく道徳的な思いに駆られたものだ。昔なら、ぜったいに持ちえなかった感想である。
 けれども、さすがは Stendhal というか、至極当然の話というか、やがて Renal 夫人は子供の病気をきっかけに、良心の呵責に苦しむようになる。'.... all of a sudden Mme de Renal sank into a frightful state of remorse. For the first time she thought critically about her love affair in an ordered way; she seemed to comprehend, as if by a miracle, into how grievous a sin she had let herself be drawn. Despite her deeply religious temperament she had never considered, until now, the maginitude of her crime in the eyes of God.' (p.122)
 19世紀のフランスといえば、不倫にかんする宗教的なハードルは絶対的に高かったはずである。「不倫は文化だ」なんて、とんでもありません。それゆえ「おいおい、人妻が……」とぼくも思ったわけだが、ともあれ以後、Renal 夫人の心の中では、夫以外の男性への純粋な愛情とキリスト教的倫理観という対照的な要素が共存し、それが彼女に激しい心理的葛藤をもたらすことになる。しかもそれが最後の……いやいや、先走ってはいけません。
 それにしても、こうして長々と駄文を綴ってみると、今さらながら、これも世界文学の常識だなと思う。昔はいったい、何を読んでいたんでしょうな。
(写真は伊達家の菩提寺、等覚寺の山門と宇和島市街)。