ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"The Red and the Black" 雑感(9)

 Mme de Renal と Mathilde を較べてみると、「人は性格が異なれば恋愛の仕方も異なるもの」と思い知らされる。若い頃のぼくは気がつかなかったか、まるで関心もなかった常識である。あまりにも当たり前すぎて、おもしろくも何ともない、というのが大人の感想かもしれない。
 が、ぼくはおもしろかった。というより、Stendhal の小説技術の巧みさに舌を巻いた。「この女にしてこの恋あり」。なるほどこんな女性ならこんな恋をするにちがいない、と作品発表後、200年近くたった東洋の島国で思うのだ。寸分の狂いもなく正確に計算された人物造形、そしてストーリー展開。ぼくは先月、「文学とは人間の生き方を描いた芸術である」とエラソーなことを書いたばかりだが、この意味で本書は芸術の極みである。
 また一方、これは社会小説でもある。Mme de Renal の場合と同様、いや、おそらくそれ以上に Julien は当初、Mathilde を一種の階級闘争の対象としてとらえている。'In the battle that's being mounted, he went on, pride of birth will be like a high ridge constituting a military position between us. It's up there that one must manoeuvre.' (p.345) 'It was not, it was true, that rapture of the soul he had sometimes experienced with Mme de Renal. There was nothing tender in his feelings these first moments. It was rather the sharper pleasure of ambition ― and Julien was above all all ambitious. .... he was thinking of ways in which he might exploit his victory.' (p.357)
 俗に「恋のバトル」と言うが、Julien と Mathilde の場合はプライドとプライドのバトルである。むろん2人は激しいバトルを続けるうちに、やがて本物の恋へと落ちて行くのだが、それでもこのバトルという側面は終始つきまとうことになる。そこには当然、駆け引きもあり、ドラマティックな展開を生み出す元となっている。そのあたり、若い頃はさぞかし夢中になって読み耽ったのでは、という気がする。
 ともあれ、その恋愛バトルは平民と貴族の戦いでもある。なにしろ Julien は立身出世の野望に燃える 'a man on the lowest level of Society' だからだ。それゆえ、貴族の娘がみずから恋を仕掛けてきたこと自体、Julien にとってはまさに勝利であり、大いに野心をくすぐるものだ。
 とまあ、本書のファンなら先刻承知の事実を確認したついでに、もう一つ常識的なことを書いておくと、以上は19世紀初期のフランスにおいて、聖職者か軍人になることが出世の早道だったというタイトルの延長線上にある社会小説の話である。つまり Julien の立場に即した社会小説であり、これについては若い頃もなんとなく理解していたものと思いたい。
 ところが今回、なんと Mathilde のほうから見た社会的側面もあることに初めて気がついた。これまた少なくとも Stendhal の研究者には、「おや、やっとおわかりですか」と笑われそうな話でお恥ずかしい次第だが、長くなりそうなので今日はこのへんにしておこう。
(写真は、等覚寺にある宇和島藩第8代藩主伊達宗城の墓(向かって右)と夫人の墓。宗城は幕末から明治初期にかけて活躍した人物で、日本史の教科書にも登場したことがある)。