ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"The Red and the Black" 雑感(11)

 Mathilde はなぜ16世紀後半と自分の時代を較べたのだろうか。前回からどうも気になったので、メモを頼りに本書を拾い読みしたところ疑問は氷解。1574年、La Mole 家の先祖 Boniface という若い貴族が英雄的な行動を取った末に斬首され、それが時代を経たのち Mathilde の心に焼きついた、という設定だった (p.317)。
 そんな英雄崇拝からすれば、たしかに「ワラ人形のような腑ぬけぞろい」の Mathilde の時代は 'degenerate and tedious age' である。ひるがえって、「男の中の男」 Julien はといえば、'Ah! in the heroic age in France, in Boniface de La Mole's time, Julien would have been the commander of a squadron ....' (p.344) ということになる。これも Mathilde の言葉だ。
 ともあれ、文明のおかげで「偉大な人物が存在しない凡庸な時代」が到来したという 「Mathilde の嘆きはじつにおもしろい」。ぼくはさらに本書から脱線し、文明が発達すると、どうして浮薄が普及するのだろうか、としばし考えてみた。(浮薄の中にはもちろん、ぼく自身もふくまれるのだが、話の都合上、これは棚上げ。そもそも、「文明の発達は浮薄の普及」と本当に言えるかどうか検証しなければならないが、これもひとまずカット)。
 そこでまず、斎藤緑雨の警句を正確に引用しておこう。「教育の普及は、浮薄の普及也。文明の齎す所は、いろは短歌一箇に過ぎず。臭い物に蓋するに勉むる也。國運日に月に進むなどいふは、蓋する巧の漸々倍加し來ぬる事也」。
 「臭い物に蓋する……」とは、綺麗事ばかり言うやつが増えている、ということでしょうか。そうそう、そのとおり。が、この警句からは、文明と浮薄の根本的な因果関係までは見えて来ない。
 次に手に取ったのは、その昔、途中で挫折した George Steiner の "The Death of Tragedy"。パラパラめくっていたら、こんな一節が目についた。'Instead of altering or diminishing their tragic condition, the increase in scientific resource and material power leaves men even more vulnerable.' (p.6) 'Tragic drama tells us that the spheres of reason, order, and justice are terribly limited and that no progress in our science or technical resources will enlarge their relevance.' (p.8)
 やばい。これを書き写しているうちに、いやはや、これは大変な問題に首を突っ込んでしまったぞ、と遅まきながら気がついた。そこで突然、大ざっぱな結論だけ述べておこう。文明が発達すれば人類は進歩する、幸福になるという考え方があるが、人間の悲劇的な状況は永遠に変わらない。そのことに人間が気がつかないかぎり、ますます「文明の発達は浮薄の普及」ということになる。
 Steiner はさらにこう述べている。'Yet in the very excess of his suffering lies man's claim to dignity. Powerless and broken, a blind beggar hounded out of the city, he assumes a new grandeur. Man is ennobled by the vengeful spite or injustice of the gods. It does not make him innocent, but it hallows him as if he had passed through flame.' (pp.9-10)
 大ざっぱな結論を続けよう。偉大な人間は悲劇の中から、神の不条理な定めの中から生まれる。ところが、文明が発達して進歩思想が生まれた結果、悲劇は忘れられ、また神は遠い存在になってしまった。そこで人間は矮小化され、浮薄が普及することになった。
 あはは。あまりにも雑ぱくな拙論で、われながら笑ってしまいます。「文明の発達は浮薄の普及」がもし正しいとしたら、その「根本的な因果関係」はこんなものかな、と漠然と思うことを書いてみたのだけれど、ちと座興が過ぎましたな。以上の論証には相当な勉強と時間が必要だが、今のぼくにはまったくそんな余裕はない。……ありゃ、"The Red and the Black" の話はどうなったんだっけ。
(写真は、伊達家のもう一つの菩提寺金剛山大隆寺)。