ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Death in Venice" 雑感(7)

 Thomas Mann の短編といえば、一に "Death in Venice "、二に "Tonio Kroger"。と Vintage 版短編集の編者も思ったのか、表題作に続いて収められているのが後者。これまたぼくは高校生のとき、やはり新潮文庫版で挫折して以来、長年手が伸びなかった。
 挫折といっても、『ヴェニスに死す』のように途中で完全に投げ出してしまったわけではない。いちおう最後まで読み通したのだが、当時のぼくには難解な部分があり、そこを素通りしてしまったのだ。その後、〈どくとるマンボウ〉でおなじみの北杜夫が、『トニオ・クレーゲル』のトニオから杜夫というペンネームを思いついたという話を知り、へえ、やっぱりちゃんと読まなくては、と心に決めたものの、それっきり。ちなみに、北の『楡家の人びと』もいまだに完読していない。
 今回、英訳で読んでいるうちに、少しずつ記憶がよみがえってきた。主人公の Tonio Kroger は14歳の少年。友人の Hans Hansen にあこがれている。が、昔はその辺からもうピンと来なかった。今なら、とりわけ "Death in Venice" を読みおえた目で見ると、おや、またゲイの話ですか、とすんなり受け容れられる設定である。Tonio は劣等生だが、Hans は優等生で美少年。そんな相手なら、同性でもあこがれの気持ちを持つことだろう……などとは当時は思わなかった。
 すっかり忘れていたのは、若き Tonio が詩作に熱心であったこと。そしてそのせいもあって、彼が自分を他人とは異質の存在だと感じていることだ。"It's true enough that I am .... heedless, self-willed, with my mind on things nobody else thinks of. .... Why is it I am different, why do I fight everything, why am I at odds with the masters and like a stranger among the other boys? .... they don't write verses, their thoughts are all about things that people do think about and can talk about out loud. How regular and comfortable they must feel, knowing that everybody knows just where they stand! But what is the matter with me, and what will be the end of it all? (pp.78-79)
 こんなくだりも昔はあっさり読み流していたはずだ。が、ここは後半に登場する芸術論の布石のひとつだろう、と今のぼくは思う。Tonio 自身、他人が考えもしない、口にできないことを考え、それを詩に表現していたがゆえに、'regular and comfortable' な日常的世界とはべつの精神世界に身を置いていた、置きつつあった。
 一方そこには、そんな自分はいったいどうなってしまうのだろう、という不安もある。つまり、Tonio は日常的世界に完全に背を向けているわけではない。上の続きはこうなっている。'These thoughts about himself and his relation to life plays an important part in Tonio's love for Hans Hansen. He loved him in the first place because he was handsome; but in the next because he was in every respect his own opposite and foil.' (p.79)
 さらにこの先を読むと、要するに Hans は「'regular and comfortable' な日常的世界」の優等生であり人気者だ、という文脈である。そんな Hans にあこがれながら、同時に自分を異端者だと感じているところに、若き Tonio の二面性、心の中の二律背反が読み取れるのではないだろうか……なんてことも、昔はちっとも考えませんでした。
(写真は、宇和島市天赦園の春雨亭)。