ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Death in Venice" 雑感(8)

 "Tonio Kroger" の第1部〈Hans Hansen 篇〉がおわって、こんどは第2部〈Ingeborg Holm 篇〉。どちらも青春小説のおもむきがあり、後半に較べると取り組みやすい。ぼくも高校時代、このあたりまではスイスイ読んだ憶えがある。といっても、たとえば前者における「若き Tonio の二面性、心の中の二律背反」などに気づくこともなく、ただストーリーを追っかけていただけだ。簡単な内容のように見えて、じつは後半の布石だったとは思いも寄らなかった。
 第2部はどうか。2年後、Tonio は16歳。美少女 Ingeborg Holm に恋をする物語である。これはけっこう憶えていた。時代や国こそ違え、なにせ自分と同じ年ごろの少年が主人公。いま振り返ると、読書生活と実生活が重なっていたかもしれない。あはは。
 今回もおもしろく読んだが、昔はこんなくだりをあっさり読み流していたのではないだろうか。'To feel stirring within you the wonderful and melancholy play of strange forces and to be aware that those others you yearn for are blithely inaccessible to all that moves you ― what a pain is this!' (p.89)
 Tonio にとって Ingeborg は高嶺の花であり、彼は自分の詩に興味を持ってもらいたいと思いつつ、現実にはそんなことはありえないと諦めている。よくある話だ、と今なら思うし、そうそう、女の子ってそんなものだよな、と昔も Tonio に肩入れしたような気がする。それゆえ、上の引用箇所はそういう文脈のまま、「あっさり読み流」すのがいちばんかもしれない。
 けれども、'the wonderful and melancholy play of strange forces' とはいったい何だろう。〈恋のチカラ〉か、とも思ったが、ここは Tonio が詩作にいそしんでいる文脈でもある。それならその 'strange forces' とは、彼の芸術的な衝動ではないだろうか。その衝動、つまり 'all that moves you' に対して、Ingeborg をはじめ他人は理解を示さない。そこで大変な苦痛が生じているのではあるまいか。
 いささか強引な解釈のような気もするが、第1部で Tonio は、「'regular and comfortable' な日常的世界」の代表者である Hans Hansen にあこがれる一方、詩作を通じて 'things nobody else thinks of' について考え、それゆえ自分を 'a stranger among the other boys' と感じていた。それがこの第2部では、あこがれの対象こそ Ingeborg に変わったものの、彼女もまた、もちろん「'regular and comfortable' な日常的世界」の代表者である。一方、Tonio はここでもやはり、「他人が考えもしないこと」を詩作の対象としているはずであり、そういう対象への関心が 'strange forces' だと思われるのだ。
 とすれば、Tonio は第2部でも第1部と同様、「日常的世界」にあこがれながら、彼自身の詩の世界、「他人が考えもしない」異端的な世界にも心を惹かれていることになる。つまり、ここでも「若き Tonio の二面性、心の中の二律背反が読み取れるのではないだろうか」。
 実際、Tonio の恋が実らなかったことについて、要するに Ingeborg にフラれたのかな、というのがぼくの記憶だったが、今回じっくり英訳で読み返してみると、あながちそうとも限らないようだ。' "Faithfulness," thought Tonio Kroger. "Yes, I will be faithful, I will love thee, Ingeborg, as long as I live!" He said this in the honesty of his intentions. And yet .... time passed and the day came when Tonio Kroger was no longer so unconditionally ready as once he had been to die for the lively Inge, because he felt in himself desires and powers to accomplish in his own way a host of wonderful things in this world.' (p.90)
 つまり、彼自身の心の中には、じつに多くのものが渦巻いている。それが何か具体的に示されているわけではないが、そこに詩作への情熱があったとしてもおかしくない。ともあれ、'faithful' たらんとした Tonio が恋一辺倒ではなかったことだけは確かだ。'But Tonio Krogel still stood before the cold altar [of his love], full of regret and dismay at the fact that faithfulness was impossible upon this earth. Then he shrugged his shoulders and went his way.' (p.90)
 たぶん、昔は「悩み多き青春、それが青春だ!」くらいな気持ちで読んだくだりだと思う。が、ぼくは今回ここが、「若き Tonio の二面性、心の中の二律背反」を象徴しているような気がしてならないのである。深読みでしょうか。
(写真は宇和島市法円寺にある、上意討ちにあった宇和島藩家老、山家清兵衛の奥方・高の墓(向かっていちばん左))。