ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Death in Venice" 雑感(16)

 "Tonio Kroger" については今日でおしまい。昨年12月に読み終えたあと、メモを頼りに拾い読みしながら分析らしきものを試み、ようやく再び結末にたどり着いた。
 じつはここ、高校生のときは、あ、またむずかしい話が始まったなと思って軽く流してしまった箇所である。それゆえ、第4部の難所ともども、この有名な短編はどうも読んだ気がしなかった。そこで今回、長年の宿題を片づけようと思い立ったわけだ。
 邪道だが、本編は結末から先に読んだほうがいいかもしれない。少なくとも、芸術論が出てきてよくわからなかったら、そこだけで理解しようとせず、結末を読んでその内容をしっかり頭に叩きこみ、それから改めて意味不明の箇所に取り組むと、たぶん疑問は氷解するものと思う。
 ぼく自身は手遅れだった。なんとか最後まで読み切り、いちおう問題点がわかったつもりでいたのだが、結末を「しっかり頭に叩きこ」むことまではせず、おかげで「分析らしきものを試み」ているうちに赤面ものの勘違いをしてしまった。
 Tonio は旅先から、第4部に登場した友人の女流画家 Lizabeta に手紙を書く。その中で彼は、父親が 'reflective, puritanically correct' で 'a tendency to melancholia' をもち、母親が 'sensuous, naive, passionate, and careless at once' だったことにより、そのあいだから自分がどんな人間として生まれて来たかを説明している。'The issue of it, a bourgeois who strayed off into art, a bohemian who feels nostalgic yearnings for respectability, an artist with a bad conscience. For surely it is my bourgeois conscience makes me see in the artist life, in all irregularity and all genius, something profoundly suspect, profoundly disreputable; that fills me with this lovelorn faiblesse for the simple and good, the comfortably normal, the average unendowed respectable human being. I stand between two worlds. I am at home in neither, and I suffer in consequence. You artists call me a bourgeois, and the bourgeois try to arrest me .... I don't know which makes me feel worse.' (p.131)
 このくだりを読めば、bourgeois の意味は一目瞭然だろう。artist の対極に位置する ordinary citizen である。ぼくは第4部で、いま思うとアホな凡ミスをしてしまったが、上の内容を「しっかり頭に叩きこ」んでおけば、赤恥をかかなくてもすんだことだろう。
 それから、Tonio が芸術家と一般市民という両極に引き裂かれ、そのあいだで揺れ動いている姿もありありと見て取れる。これが予備知識としてあれば、最初から読んでもさほど苦労せず、ふむふむ、だからここはこんな書き方をしているんだな、などと納得したり楽しんだりできるかもしれない。
 しかしそれはやはり、邪道である。ぼくのように、ああでもない、こうでもないと自分の頭で考え、試行錯誤を繰り返しながら上のくだりにたどり着き、なるほど、そういうことだったのかと合点する。それが読書の楽しみというものだろう。
 ただ本編はむずかしい。なるほど、と自分なりに理解したところで、もう一度最初から読み直し、それが正しい理解だったかどうかを確かめる必要があると思う。まさに熟読玩味に値する傑作である。読めば読むほど必ずや、知的昂奮を覚えるはずだ。前にもどこかで書いたが、もはや現代文学では、そういう経験を味わうことはめったになくなってしまった。
(写真は宇和島城、二の門跡)。