ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Thomas Mann の “Death in Venice”

 Thomas Mann の短編は高校生のとき、途中で挫折したり、最後まで読んでも読んだ気がしなかったり。以来、長らく宿題となってしまったが、昨年末、Vintage 版で悪戦苦闘しながら読了。それからさらに雑感を書きつづけ、今日やっと、以下のレビューらしきものにたどり着くことができた。またひとつ、冥土の旅の一里塚を通過した気分だ。

[☆☆☆☆★★] トーマス・マンの傑作短編集。粒ぞろいだが、やはり有名な表題作と『トニオ・クレーゲル』がひときわすぐれ、より深い問題をはらみ、内容的にも英語的にもむずかしい。表題作では、長年、禁欲的な芸術生活を送ってきた初老の作家アッシェンバッハが、旅先のヴェニスで見かけた美少年に至高の美を認め、束縛のない至上の愛を知ったあげく破滅する。その鬼気迫る異様な盛りあがりと、死の瞬間のはかなさは、まさに言語を超絶。美をきわめれば死にいたる。さほどに芸術とは危険なもの、ということだろうが、アッシェンバッハは20世紀初頭のドイツにおける「時代の代弁者」でもある。あえて深読みすれば、彼が耽溺した芸術至上主義的な禁断の世界とは、現実の対極にあることで逆説的に現実を、時代の空気を、当時の勤勉な国民の倦怠や休息願望などを反映したものだったのかもしれない。芸術の問題は『トニオ・クレーゲル』でさらに掘りさげられる。安楽だが平凡な日常的世界に住む一般市民とは対照的に、芸術家は、文学者は、ものごとの本質を究め、それを芸術的に表現しようとするうちに、苦い真実に満ちた人生の不健全で危険な領域、異端の世界へと足を踏みいれる。この市民と芸術家というふたつの世界にトニオは少年時代から引き裂かれ、両極のあいだでゆれ動きながら成長する。当初は青春小説のおもむきがあり、やがて上記の芸術論のあと、彼は思いがけず自分の青春と再会。そこでさらに心中の矛盾と葛藤を痛切に自覚する。その苦悩と感傷は、芸術と人生への洞察を反映した深みのあるもので、いままで多くの文学者が本篇に惹きつけられてきた理由のひとつではなかろうか。あとの作品も、それぞれの時代の精神状況や、平凡な日常、危険な芸術の世界を描いた、いわば巻頭二篇の変奏曲。テーマ的にみごとに統一された短編集である。