ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Childhood, Boyhood, Youth" 雑感(1)

 そのうち現代文学も採りあげねば、と思いつつ、今回も長年の宿題を片づけることにした。といっても、"Klingsor's Last Summer" や "Death in Venice" のように半世紀、あるいはそれに近いものではない。読書記録を調べると、15年前に一度読んだことのある Tolstoy の自伝小説集 "Childhood, Boyhood, Youth" である。
 それがなぜ宿題になったかと言うと、最後の "Youth" まで読み進んだとき、なんと1ページだけ空白になっているのを発見。つまり落丁本だったのだ。ところが、例によって購入後、かなりたってから読みはじめたので、とうに返品可能な期間を過ぎていた。1ページくらい飛ばしても文脈はわかったが、それでも完読したとは言えないのが気がかりだった。
 テキストは Penguin Classics 版。検索すると改訳版が出ていることがわかり、さっそく取り寄せ、新旧両版の "Childhood" の冒頭を読みくらべてみた。ほとんど変わらない部分もあるが、新訳のほうが明らかに読みやすくなっている。
 すぐに内容の検討を始めてもいいのだが、Tolstoy は、ぼくにとって思い出のある作家の一人なので、今日は昔話だけ。ぼくが生まれて初めて読書感想文なるものを書いたのが、じつはトルストイの作品だったのだ。
 小学校一年生のとき、「どくしょかんそうぶんを書きなさい」という耳馴れぬ宿題が出され、たまたま読んだばかりだったのだろう、『イワンのばか』について400字詰め原稿用紙1枚の感想を書いた。その出だしは今でも憶えている。「ぼくは、イワンは、ばかではないと思った」。
 それからどう続けたのかはさっぱり記憶にない。ただ、その感想文が少しばかり好評だったらしく、市内の学校のコンクールで、ぼくの学校からの候補作品に選ばれたという話をあとで聞いた。「ちょっと弱かったなあ」と、落選後の選評も教えてもらった。なんだか、その後のぼくの人生を象徴しているようなエピソードである。いい線まで行くけど、結局だめ、というわけだ。
 もちろん、当時はそれがトルストイの作品だとは知らなかった。が、いつのまにかそうとわかり、その名前に親しみを覚えたものだ。やがて中学生になり、今は亡き父親に買ってもらった世界文学全集で『戦争と平和』を一読。ちょうど同じころ、ソ連版の映画が公開され、ヒロインを演じたリュドミラ・サベーリエワの可憐な姿が心に焼きついた。
 後年、『ひまわり』を見たとき、その彼女が出てきたのでビックリした。いまネットで調べると、『戦争と平和』の2年後に公開とのこと。ぼくはリアルタイムで見なかった。そのせいか、青春時代に帰ったようで懐かしかった。
 同じく Wiki によると、リュドミラ・サベーリエワは、2009年製作のTVドラマ、『アンナ・カレーニナ』にも出演しているらしい。それが YouTube で見られるのだから、ほんとうに便利な世の中になったものだ。ただ、ロシア語なのでチンプンカンプン。どんな出来か、ロシア語に詳しい畏友に問い合わせてみよう。
 "Anna Karenina" といえば、ぼくが洋書で世界文学を楽しむきっかけとなった記念すべき作品である。これも新訳が出ており、いつか死ぬまでに読まねばと思っている。同書のあと "Resurrection" も読んだが、どちらもレビューは書いていない。以下、一つだけ書いた Tolstoy 作品のレビューを再録しておこう。

The Death of Ivan Ilyich and Other STories (Vintage Classics)

The Death of Ivan Ilyich and Other STories (Vintage Classics)

  • 作者: Leo Tolstoy,Richard Pevear,Larissa Volokhonsky
  • 出版社/メーカー: Vintage
  • 発売日: 2010/10/05
  • メディア: ペーパーバック
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[☆☆☆☆★★] 月並みな感想だが、トルストイは偉大なるモラリストだったと思う。もとより聖人君子ではなく、おのが心中にひそむ巨大な悪と生涯闘いつづけた偉人という意味である。その激しい内なる闘い、道徳的煩悶の記録が本書にちりばめられている。それは現代人の感覚からすれば、驚きの連続でもある。Ivan Ilyich は、いまわの際まで人生いかに正しく生きるべきかと問いつづけ、"The Kreutzer Sonata" の Pozdnyshev は、生命なんぞ二の次三の次、禁欲を守るためには人類が滅亡してもかまわないと断言。"The Devil" の Evgeny は心の中の姦淫にもだえ苦しんだあげく破滅し、Sergius 神父は女への欲情に抗すべく、何と自分の指を切断する。彼らの煩悶は、いずれも心中のエゴイズムや道徳的欺瞞にすこぶる敏感な精神から生まれたものであり、その過敏さは過激なまでに厳しいモラリズム、そして猛烈な理想主義を意味している。これほどまでに徹底した理想主義を描いた小説は、世界の文学史上、数えるほどしかないだろう。一方、"The Forged Coupon" や "Alyosha the Pot" など軽妙な筆致の作品からは、そこで示された図式的とも思える人物像を通じてトルストイの理想が見えてくる。純粋な奉仕、自己犠牲、無私の精神である。それを実践すればするほど神の世界に近づくと感じたのが Sergius 神父であり、神父の最後にたどり着いた境地が「軽めの作品」のモチーフとも言えよう。ひるがえって、表題作をはじめ、人間の「内なる闘い、道徳的煩悶」を採りあげた作品のほうは、ストーリー性を度外視しているため決して読みやすくはない。が、何より「猛烈な理想主義」に圧倒される。その意味で文学的に深い名作である。ロシア語との対照はできないが、純粋に「英語で書かれた作品」として見ても、すぐれた英語ではないかと思われる。
(写真は宇和島城、城山の南側登り道)