Tolstoy の自伝小説を読んでるんだって? おもしろいの? という声が聞こえてきそうだが、それがけっこうおもしろい。15年前に初めて読んだときもそうだった。
むろん、たとえば起伏に富んだ展開とか、ユニークな人物の登場とか、感動的な結末とか、通常の小説のおもしろさは望むべくもない。3作を通じて、幼い少年が青年へと成長していく姿が描かれているだけである。
けれども本書を読んで、こんな話なら自分だって書ける、とは誰も思わないだろう。むしろ、ウソか本当か知らないが、よくまあ、これほど細かい点までありありと書けるもんだ、と感心させられる。ときに現在形のセンテンスをまじえ、実況中継風に過去の出来事を再現しているところなど、さすがは小説家の自伝である。そこに緻密な構成の計算が働いていることは疑う余地がない。
が、何よりおもしろいのは、幼年から青年にいたる Tolstoy の心の動きである。もちろん、定番とも言える恋愛話も出てくるし、母親の死をはじめ、自分の大学受験や入学後の友人たちとの交流など、話題としてはごく普通の青春小説だ。それなのにクイクイ読めるのは、その時々の微妙な心の揺れ動きが正直に、ありのままに書かれているからである。
中でも前回、前々回紹介したくだりのように、Tolstoy が幼少の頃から、自分の心中にひそむエゴイズムにすこぶる敏感であったことを物語るエピソードは、文化の彼我の差をも実感させられ、まことに興味ぶかい。"Boyhood" にしても、"Childhood" における母親の死のようなハイライト場面こそないものの、同じく文化の違いを端的に示した一節がある。
"Boyhood" はこのように締めくくられている。'It goes without saying that under Nekhlyudov's influence I involuntarily adopted his look, the essence of which was a rapturous adoration of the idea of virtue, and the conviction that man's purpose lies in continual self-improvement. To reform all humanity and eradicate all human vice and unhappiness seemed plausible enough to us at the time, just as it seemed an easy and uncomplicated matter to reform ourselves, to master all virtues and be happy ... God alone knows, however, just how absurd those noble dreams of youth were, or who was to blame that they were never realized ... (p.209)
少年時代にこんなことを夢想する人間がいること自体、驚きとしか言いようがない。こうした楽園幻想もまた、キリスト教文化のたまものだろう。
このくだりはまた、同じ一人の人間の心の中に、度しがたいエゴイズムと、崇高な美徳の希求が同居していることをも意味している。上記の「微妙な心の揺れ動き」とは、煎じつめれば、エゴイズムとそれを見つめる心との葛藤、少なくともその始まりだったと言えるかもしれない。こんな少年がぼくたちの国にいるのか、今までいたのか、たとえいたとしても、神という絶対的存在の前で自分の心の美醜を問題にしていただろうか。そう考えると、これはやはり文化の違いを物語る一例なのである。
(写真は宇和島市の穂積橋。郷土の偉人、穂積陳重は明治・大正時代の有名な法学者で、死後、銅像を建立する話が持ちあがったが、「老生は銅像にて仰がるるより万人の渡らるる橋となりたし」との生前の穂積の言葉により、折しも改築中の橋が穂積橋と命名された)。