ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Barbara Kingsolver の “The Poisonwood Bible” (3)

 きのう再録した "Prodigal Summer" (2000) のレビューを読み返すと、「文学史に残る傑作」という一節があり、思わず苦笑してしまった。ほんとうにそんな大傑作と言えるのかどうか、もし仮に、レビューを書いてから10年のあいだにアメリカ文学史の新刊が出ているとして、その中に同書に関する記述があるかどうか。そう考えると怪しいな、という気がしないでもない。
 が、ぼくには確たる理由があって、同書は今でも [☆☆☆☆★] だと思う。つい筆が滑って大げさになったきらいはあるにせよ、読後の感動はいまだに忘れられない。それゆえ文字どおり拙文ながら、いっさい加筆訂正はしなかった。
 上のレビューを読んでもうひとつ気づいた点がある。今回の "The Poisonwood Bible" とあわせ、Barbara Kingsolver は king の名にふさわしい巨視的な世界観の持ち主ではないだろうか。文明と自然、エコロジー、西洋キリスト教社会と異文化、キリスト教と土着信仰といった、二つの作品の(ぼくが選んだ)キーワードが示しているのは、彼女が人間の営みを大きなスパンでとらえているということだ。
 そのマクロの世界観と同時に、日常生活における人間の姿を具体的にこまかく描くミクロの眼もそなえている。それが Kingsolver のすごいところだと思う。
 そこで今日は、"The Lacuna" (2009) と "Flight Behaviour" (2012) のレビューも再録することにした。4本のレビューから彼女のすごさ、ぼくのとらえた一定の作家像が浮かんでくるものと思う。

The Lacuna

The Lacuna

[☆☆☆☆] 前半はやや忍耐を強いられたが、中盤を過ぎたあたりでエンジン全開。終わってみれば、ホエザルの啼き声で始まる冒頭の象徴的な意味も、さほど劇的とも思えなかった前半の位置づけもよくわかり、これはやはり十分に計算しつくされた大変な力作である。舞台は、メキシコ革命世界恐慌トロツキーのメキシコ亡命と暗殺、第二次大戦、赤狩りとつづく激動の20世紀のメキシコとアメリカ。主人公は、のちに歴史ロマンスを書いて有名となる作家で、その少年時代からの日記を中心に、書簡や作家の秘書による注釈、新聞記事、さらには法廷記録などもまじえながら、青年作家の「lacuna」、すなわち空白の人生を次第に再構成していくという叙述形式と展開だ。前半で「忍耐を強いられた」一因としては、たとえば主人公がトロツキーの秘書となり、その亡命生活と暗殺の一部始終を目撃しているわりには両者の関係が希薄で、世界史的に重要な人物の登場する意味が伝わってこない、といった点が挙げられる。が、じつはその「希薄な関係」こそ、後半の急展開の鍵なのだ。歴史が大きく変動するとき、人間の運命も大きく左右されるのは世の常だが、変化の瞬間には歴史の渦に巻きこまれていることがわからないかもしれない。そうした運命の過酷さを描いている点で、本書はきわめて正統的な歴史小説である。また、大衆ヒステリーの恐怖を扱った社会小説としても記憶にのこる作品だろう。英語は難解とまでは言えないが、語彙レヴェルはかなり高いほうだと思う。
Flight Behavior: A Novel (P.S.)

Flight Behavior: A Novel (P.S.)

[☆☆☆★★] 人は美しい自然に感化され、生きるヒントをつかむことがある――日本人にはおなじみのテーマだが、本書で描かれる自然はエコロジーの問題と直結している。それゆえ、人生の悩みだけでなく、現在の地球にどんな異変が起きているか、その異変にたいして人間は何ができるのか、何をすべきなのか、というのが本書の主眼である。つまりこれは、人生と地球環境の問題を巧みに織りまぜ、より具体的にはホームドラマエコロジーをみごとに合体させた小説なのである。その構成は間然するところがない。二児の母親ながら恋多き女が、アパラチアの美しい森林と、そこに突然発生した無数の蝶の大乱舞に感動。やがてそれが過去のトラウマとその超克、家族の対立と和解というテーマと同時に、地球温暖化の問題へとつながっていく。蝶の異常発生をめぐる大騒ぎなどコミカルなエピソードが楽しく、奇跡とも思えるほど幻想的な光景の描写もすばらしい。と、どの要素をとっても完璧な仕上がりなのだが、そのわりに心に響いてくるものは少ない。地球規模のエコロジーの問題の重大さとくらべ、それに直面した人間が織りなすのはホームドラマが中心だからだ。配合の妙はさておき、「人生の問題」の小ささがどうしても目だってしまう。しかも、エコロジーとからめなければ定番の話なのだ。ひるがえって、環境問題の教科書のようなくだりがあるのも興ざめである。英語は知的な文体で、語彙レヴェルはかなり高い。
(写真は宇和島市来村(くのむら)川。きのうアップした風景からやや川下)。