ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Brief Loves That Live Forever" 雑感 (1)

 まずブッカー賞の話題から。ぼくはアンテナに登録している現地ファンのブログを参考にしながら、ロングリストにノミネートされそうな有資格候補作を何冊か読んでいたのだが、当たったのは1冊だけ。"The Sellout" も有資格だとは思いもよらなかった。
 例によって、「意外な結果だ」、「この作品に注目したい」というたぐいの感想が多い。ぼくも面白そうな本を数冊注文したが、これはぜひ、と大いに食指が動いたわけではない。まして昔のように全候補作を読破しようという気力はさらさらない。ブッカー賞は読書界最大のイベントのひとつには違いないけれど、ほかにも未読の作品が山積しているからだ。
 本ブログを休止する前、夏といえば、英米はもちろん、独仏露など世界文学の名作に取り組んでいたものだ。本屋さんでも〈夏読書〉コーナーをもうけているところが多い。夏こそ文学を、というわけでしょうか。
 が、相変わらず多忙につき、大作は読めない。そこで手に取ったのが Andrei Makine の "Brief Loves That Live Forever"。2015年の国際ダブリン文学賞の最終候補作である。ブログ休止中にどんな作品が出たのだろう、とあれこれ検索しているうちに Makine の名前を見かけ、とても懐かしかった。8年前の冬に "Dreams of My Russian Summers" (1995) を読んで以来、ずっと遠ざかっていたからだ。
 裏表紙によると、「Andrei Makine はシベリア生まれで、20年以上フランスに住んでいる」とのこと。"Brief Loves ...." はフランス語からの英訳である。だからロシア文学なのかフランス文学なのか、それとも一石二鳥なのか。
 書き出しはこうだ。'From my youth onward the memory of that chance encounter returns, at once insistent and elusive, like a riddle one never gives up hope of solving.' (p.5)
 この1文だけで、ああ、Makine らしいなあ、と昔の印象がよみがえってきた。「思い出」は旧作でもキーワードだったからである。以下、昔のレビューでお茶を濁しておこう。

Dreams Of My Russian Summers: A Novel

Dreams Of My Russian Summers: A Novel

[☆☆☆★★★] 夢と幻想の香りが立ちこめた印象派の絵のような秀作。少年時代の夏、広大なステップの草原の端にある祖母の家で過ごした主人公の回想録で、美しい女性の写真を見てふと涙した祖母が思い出を語りはじめる。祖母はフランス人。パリの風景や歴史的事件が記憶の中で溶けまじり、さらにそれが主人公の夢想をかきたてる。祖母はまた歴史の生き証人でもあり、ロシア革命、シベリアでの悲惨な生活、スターリン時代の恐怖、第二次大戦など、苦悩と受難に満ちたロシア史が綴られる。こうした二重のヴィジョン、つまり過去と現在、厳しい現実と甘美な幻想の混合には当然、マジックリアリズムの実験とは異なり、かなり感傷的な抒情詩のおもむきがある。それは過去の一瞬を永遠に定着させようとする、「失われた時を求め」る試みとも言えよう。やがてフランスへの幻想が幻想であることを知り、ロシアの現実に直面した主人公は、その現実を祖母の前につきつけようとするのだが……。冒頭で祖母の流した涙の意味が明かされる結末がとても感動的だ。それはまさに過去と現在の融合した瞬間であり、ロシアとフランスという空間を超えた夢のような現実の一瞬でもある。時間の錬金術が産みだした結晶と言ってもよい。英語も内容を反映した熟読玩味に値する文体である。
(写真は、先日の北海道旅行で撮影した小樽、鰊御殿とすぐ横の海)