ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

J. M. Coetzee の “The Schooldays of Jesus” (5)

 もうひとつだけ補足しておこう。本書でいちばん注目すべき人物は悪党の Dmitri かもしれない。むろん前作同様、Simon が語り部としての主人公で、彼の目から見た David がタイトルを象徴する主人公だが、この二人に次ぐ「活躍」を見せるのが、新たに登場した Dmitri である。
 どんな小説でも、魅力的な悪役が顔を出すだけでぐっと場面が引き締まるものだが、本書もその例外ではない。実際、彼のかかわる殺人事件はなかなかおもしろい。ところが、その真相が「凡人には理解不能というのでは、あまりに肩すかしではないか」。「ダビドのみが理解を示す」のは神の子イエスのことだからいいとして、それはいったいどんな「理解」だったのだろう。
 この話から導き出せる結論はこうだ。「神の定めた善悪もまた、地上の論理では説明できない。けれどもダビドは生来、直感的に善と真理を洞察する力を持った例外者」である。「けれども」以下は次のくだりをまとめたものだ。'.... in David's attraction toward characters like Dmitri himself .... he [Dmitri] finds a deep wisdom. Children come into the world with an intuition of what is good and true, he [Dmitri] says, but lose that power as they become socialized. David is, according to him, an exception. David has retained his innate faculties in their purest form.' (p.179)
 悪の問題はすこぶる道徳的な問題である。これを掘り下げることこそ大作家にふさわしいテーマである。それが上記のように「上滑りで尻切れとんぼ」。神の子イエスらしい逸話というだけだ。何だこりゃ、と言わざるをえない。
 Dmitri も異彩を放ってはいるが、スケール的にはいかにも小悪党。世界文学史上の大悪党たちとくらべるまでもない。この程度の作品が(推測だが)校正刷りの段階でロングリストに選ばれるとは、今年のブッカー賞はよほど不作なのだろうか。
 最近の各社オッズを調べると、本書はおおむね〈有力馬〉扱いのようだが、Ladbrokes だけ最下位予想。ぼくもそんなところだろうと思う。(追記:その後調べると、Ladbrokes でも〈有力馬〉になっていた)。
(写真は、宇和島市佐伯橋からながめた神田(じんでん)川)