きょうは疲れた。なるべく短くすませよう。
見方によっては長編とも言えるこの短編集で、ぼくがいちばん感動したのは最後の第9話。思わず目頭が熱くなった。
以下は、そのくだりではない。70代の老人が孫の書いた詩を目にする。その詩にこんな一節がある。'.... Just a moment's immersion in the texture / Of existence, the eternal passing of time.' (p.393) これを読んだ老人は 'Yes. Well done, ....' と褒めている。省略したのは孫の名前。その孫とは、じつは前にどこかで出てきた男だ。間接的ながら本書に再登場する人物は、彼もふくめて二人だけ。しかし正体はあえて伏せておこう。読めばきっと、え、と驚くはずだ。
次に、過去に心臓手術を受けたことのある老人は、そのうえさらに交通事故で入院。ベッドでこんなことを考える。His only purpose in life now, it seems, is to stave off physical decay and death for as long as possible. His life, in terms of any sort of positive purpose, would seem to be over already. He feels very depressed. Amemus eterna et non peritura. The words pass through his mind from somewhere. (p.415)
最後の 'Amemus ....' という言葉は、老人がイタリアの Pomposa 修道院を訪れたとき、玄関で目にしたもの。ラテン語のようだ(間違っていたら次回に訂正)。その意味は、第9話第3章でこう説明されている。Amemus ― Let us love. Eterna ― that which is eternal. Et non peritura ― and not that which is transient. Let us love what is eternal and not what is transient. (p.409)
さて、なんとか退院した老人は娘といっしょにレストランに入る。Outside the snow is still falling. He is trying to tell her about Amemus eterna et non peritura, about 'the eternal passing of time.' It is on his mind again. (p.435)
ぼくは上記の内容に、ナイン・ストーリーズ全体を重ね合わせながらレビューを締めくくった。本書は「鋭い感覚で一瞬、心のひだを、人間存在の現実をとらえたもの」であり、「人生の過ぎゆく時間を、ひとつひとつの瞬間を永遠の流れの中に定着させようとする試みとも言えるだろう。作者は、人生のはかなさと永遠性を同時に見つめている。これはその葛藤の中から生まれた短編集にして長編小説である」。
フッ、きょうは引用だらけでしたね。でも、おかげで早く本が読めます。
(写真は宇和島市神田(じんでん)川。海が近い。右手に見えるのは宇和島南中等教育学校)