ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Sandor Marai の “Embers” (3)

 雑感で紹介したように、wiki によると、Sandor Marai の諸作は「今日では、20世紀ヨーロッパ文学の正典(カノン)の一部と見なされている」。ぼくは今回 "Embers" を読んだだけだが、この記述はどうやら正しいのではないかという気がする。
 今さら言うまでもなく、20世紀は戦争と革命の世紀である。その火薬樽の大半がヨーロッパにあったこともまた論を待たない。帝国主義の時代を思えば、ヨーロッパ以外の地域の紛争や革命でも、火種はやはりヨーロッパにあったからだ。
 中学の教科書にでも出てきそうな世界史の常識だが、なぜそういうことになったのか。その根本的な原因を追求し、ヨーロッパ文明の本質について考察した文学者がいる。ぼくが英語で読んだ範囲で言えば、Thomas Mann や D. H. Lawrence、George Orwell、T. S. Eliot、小説家ではないが George Steiner や E. M. Cioran たちだ。
 さらにと言えば、早くも19世紀には、戦争と革命の時代を予感させるような作品をものしていた文学者がいる。Dostoevsky、Tolstoy、Melville、そして哲学者の Nietzsche だ。
 たった一冊の感想なので断言はできないが、ぼくはこの "Embers" を読みながら、たしかにこれは、上の20世紀の巨人たちと同じ最高水準の知性から産み出されたものではないか、と思わずにはいられなかった。前回引用した一節がひとつの証拠である。
 そして思った。本書から読み取れるような、国家や民族、文明、文化、歴史などの問題を見すえた巨視的な人間観、それが「正典(カノン)の一部」たりうる条件のひとつではないだろうか。
 あれま、大風呂敷を広げてしまいましたね。連日の雨続きできょうは風邪をひき、頭が痛い。ぼうっとしながら大問題について書き流してしまった。こらっ、という某先生のお叱りの声が聞こえてきそうだ。
 正典の条件はもうひとつあると思うのだけど、きょうはこれにて。
(写真は、宇和島中町(なかのちょう)教会。この角度のほうが昔のイメージに近い。ただ、昔はもっと古ぼけていた)