ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"Eileen" 雑感 (2)

 いま読んでいるのは、行きの電車で "Eileen"、帰りの電車で "Young Skins"、そして寝床で『風味絶佳』。おかげでどれも少しずつだが、3週目に入った山田詠美だけはやっと終わりそうになってきた。
 3冊ともおもしろい。ただ、そのおもしろさは、どれも知的昂奮をかき立てるものではない。心の琴線にふれるという意味では『風味絶佳』がいちばんだけど、男と女の微妙な心理の絡み合いというのは、いままでいろんな小説で読んできた。
 "Young Skins" もそうだ。中年男が主人公の話もあるが、それも相手は若い女。どうやら若い世代の男女の絡み合い、というより「すれ違い、ボタンの掛け違い」がテーマの短編集のようである。上の事情で、前回からいくらも進んでいない。
 あとから読みはじめた "Eileen" だが、ページ数で "Young Skins" に追いついた。読み物としては、3冊の中ではこれがいちばんかな。さあさあ、もうすぐ大きな事件が起こりますよ、と張り扇をバシバシたたくような書き方で引っ張っている。引っ張りすぎとも言えるが、小さなエピソードの組み立てがうまく、あまり気にならない。
 ただ、これがなぜ知的昂奮を覚える作品ではないかというと、ひとつには、キャラクターの設定が単純だからだ。老婦人の Eileen が50年前、24才の娘だったときの事件を回想する話だが、彼女の父親はこう描かれている。'He had no loyalty to me. He was never proud of me. He never praised me. He simply didn't like me. His loyalty was to the gin, ....' (p.73)
 そんな父親の娘が 'I looked like nothing special.' (p.1) で、'I was very unhappy and angry all the time.' (p.2) というのも、むべなるかな。こうした人物像の単純化は、ストーリー重視型の文芸エンタテインメントにありがちなパターンである。これではたとえば、親娘といえどもお互いに理解し合えないのは根本的に何が原因なのか、なんて複雑な問題には発展しようがないだろう(と予想する)。
 上の〈張り扇効果〉もあって、たしかにおもしろい 'My last days as that angry little Eileen' (p.2) にはなっているのですけどね。
(写真は宇和島市真教寺。浄満寺と同じく通称・寺町界隈の一角にある)