ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Jacqueline Woodson の “Another Brooklyn” (2)

 このところ、われながらまるでブッカー賞ウォッチャーみたいだった。が、これはぼくの本意ではない。世界の文学界でいわば最大のお祭りに付き合っただけのこと。積ん読中の名作傑作の山を少しずつ切り崩す。それがほんとうの目標だ。
 とはいうものの、おもしろそうな新作が出ると、それも権威ある文学賞の候補作となると、つい目標を忘れ、気になってしまう。この "Another Brooklyn" もそう。久しぶりのジャケ買いだった。
 本は見かけによる。表紙どおりゴキゲンな作品だったが、雑感とレビューに付け加えることはほとんどない。印象に強く残っているシーンをひとつだけ紹介しておこう。
 主人公の August はテネシーの田舎生まれ。家庭の事情でブルックリンに移住するが、生き別れになった母親のことが忘れられない。あるとき、父親は August とその弟を連れ、一度だけテネシーに里帰りする。そこで目にした光景がこれだ。We arrived in the early evening. My brother and I slammed out of the car like we were children again, running down the long dirt road that lead to the house. But where our house had once been, there were weeds now, taller than any of us and thick as poles. From where we had stopped, I could smell the briny water. We stood there, silent. In the silence, we could hear the soft lap of the lake. (p.165)
 この湖がじつは、母親がらみで重要な意味をもっているのだが、それは省略。ともあれ、ぼくはこのくだりを読んだとき、自分の生まれ育った愛媛県宇和島市にある貧乏長屋のことを思い出した。下に掲げる写真がそうだ。
 いちばん上は8年前の夏に撮影。ぼくの生家は郵便受けのある家。このときはまだ人が住んでいたようだ。
 それが4年前、父の49日の法要で帰省したときは、横の家が(近所の人の話によると)台風で倒壊。生家も廃屋になっていた(再アップ)。
 そして去年の夏に帰省すると、なんと更地になっていた。だから上の一節における August の心境がよくわかる。
 いちばん下は今年の夏に撮影。どうやら元長屋の前の家も廃屋のようだ。たしか大酒飲みのおじさんが住んでいた。そんな自分の記憶の引き金になるのが、この "Another Brooklyn" である。