ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Magda Szabo の “The Door” (1)

 しばらく前に読了していたのだが、レビューらしきものを書く時間がなかなか取れなかった。おかげで印象が多少薄くなった感は否めない。
 反面、いまだに心に強く残っているところもある。それがこの作品の本質にかかわっていることを願いつつ、やっと駄文を綴ることにした。
 雑感でもふれたように、本書はハンガリー語版(1987)からの英訳で、刊行されたのは2005年。それがどういうわけか昨年、ニューヨーク・タイムズ紙の年間ベスト5小説に選出。同紙のレビューを検索すれば、その理由が紹介されていることだろう。(追記:本書は2012年、ハンガリーの巨匠イシュトバン・サボー監督によって映画化されました。日本では未公開ですが、WOWOWで放映されたことがあり、邦題は『エメランスの扉』とのことです)

[☆☆☆★★★] このごろ都に流行らぬもの。奉仕、勤勉、誠実さ。こうした美徳は、政治的状況の変動にかかわらず、いわば人間の原点として存在する。いや、存在したはずだし、また存在しなければならぬ。作者はそんな思いに駆られて本書を著したのかもしれない。第二次大戦後のハンガリーに住む女流作家、作者と同名のマグダが、長年雇っていた老家政婦エメランスとの交流を回想する。エメランスは働き者だが頑固一徹、いっさい妥協を拒み、インテリで信心ぶかいマグダとなんども衝突。そのバトルがスラップスティック調で笑える。やがてふたりは深い愛情の絆で結ばれるものの、これはけっして安易な友情物語ではない。当初はただの偏屈ばあさんに思えたエメランスが、じつはホロコーストもふくむ激動のハンガリー現代史の生き証人だったのだ。ふたつの世界大戦をはさんで政治体制が劇変するなか、空疎な政治理念や主義主張には目もくれず、ひととしての誇りを保ち、ひたすら他人のために奉仕。そんなエメランスがぜったい人目にふれさせない自宅のなか、扉の奥にはどんな秘密が隠されているのか。ネタは割れないが、すでに秘密の輪郭は明らかだ。コメディー仕立ての寸劇からも読みとれるように、エメランスの心は終始一貫、血も涙もある隣人愛に満ちあふれている。その愛は私的信念であるがゆえに相対的であり、時の流れ、そして当人の死とともに消えていく。はかない人生だが、みごとな生きかたである。これは、信義をつらぬくことを大事とする、はかなくも、みごとな人生への扉をひらく本なのだ。