ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"The Go-Between" 雑感 (3)

 寝る前に10分間だけ、キッチンで桜木紫乃の『氷平線』を読んでいる。いちおう日本文学の catch up のつもり。座って読んだほうが、やっぱり先へ進みますね。experience の世界が中心だが、その中に一本、innocence の芯がしっかり通っているようだ。
 寝床の中では吉田秋生の『櫻の園』。実写映画(90年版)のほうは、冬休みに再見したばかり。中島ひろ子と白鳥靖代が顔を寄せ合うアップシーン、あれにはこんども息を呑みましたね。
 一瞬おいて、ふたりの相思相愛ぶりに傷ついた、つみきみほがタバコを吸うシーンもよかった。ふたつ合わせて innocence と experience の対比と言えるかもしれない。
 アップシーンといえば、同じく冬休みに見た『蝶の舌』のラストも心にしみた。老先生が警察に連行されるのを目撃した少年の、あの茫然とした顔。あれこそまさに innocence が experience に接した一瞬のショットでしょう。
 数あるラストのアップシーンの中でも、ぼくが思い出すたびに目頭が熱くなるのは『離愁』。ジャン = ルイ・トランティニアンと別れるときのロミー・シュナイダーの、あの悲しみにゆがんだ顔。あれもまた、innocence と experience の悲痛な衝突を端的に物語っている。
 そんな「悲痛な衝突」に向かって少しずつ進んでいるのが "The Go-Between" かもしれない。主人公の12歳の少年 Leo はいま、といっても時代は1900年の昔だが、ノーフォークの田舎にある友人 Marcus の屋敷で夏休みを過ごしている。どうやら Leo の誕生日、7月27日に大事件(the catastrophe)が起こったらしい。
 いったいどんな事件だろう、というのが興味の中心で、もちろんまだ予測はつかないが、どうやら Marcus の美しい姉 Marian が関わっていそうだ。Leo は定番どおり Marian に一目ぼれ。夢中になったあげく……ううむ、どうなるんでしょうね。
 同じく「定番どおり」ながら、やはり西洋の小説だなあ、と思わせるくだりもある。Think about being good, my mother had told me, and I had no difficulty in this, for I had a sense of worship. .... I felt I could really contemplate the mercy of God .... I did not associate goodness much with moral behaviour; it was not a standard to live up to, it was an abstraction to think about .... (p.85) などと、教会で Leo 少年は contemplation of the absolute にふける。漠然とではあるがこのように、innocence の立場にある人間が「絶対善」のことを考える、というのは日本文学ではありえないシーンでしょう。
(写真は、宇和島市神田(じんでん)川に面した古い民家。いまはどなたがお住まいか知らないが、ぼくは小学生のころ、訪れたこの家の二階で、初めてテレビで長嶋を見た。田舎ではまだ、テレビがあまり普及していない時代だった)