ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"The End of Days" 雑感(3)

 きょうはまず、映画「この世界の片隅に」の感想の続きから。これはタイトルどおり、「この世界の片隅」でひとり静かに鑑賞し、そっと涙するべき作品だと思う。
 事実、ぼくも帰省の途中、松山の小さな映画館で観ているうちに何度か目頭が熱くなった。そんなときの顔は、だれにも見られたくないものだ。ひとりでよかった。
 もちろん前回ふれたように、問題点もある。が、ここでいちばん問題なのは、この作品を反戦映画として称揚したがる人たちがいるかもしれない、ということだ。
 本作について、脳科学者・茂木健一郎氏はこう書いている。「人間らしくあるためには、体験を共有しなければならない。時が経つほど、それは難しくなる。(中略)戦争の悲惨は、国や正義といった『大きな物語』を信じる人たちによって引き起こされる。庶民も、首相も、難民も、大人も子どもも、誰もが『この世界の片隅に』生きているのに、それを忘れてしまうのだ」。
 ぼくはこのコメントを読み、フシギに思った。茂木氏はどうやら、「国や正義といった『大きな物語』」も、それからもちろん戦争も、「人間らしくある」ことに反するものだと考えているようだが、はたしてそうか。国も正義も戦争も、じつはすこぶる「人間らしい」ものではないだろうか。
 茂木氏と同じく脳科学者である中野信子氏は、某局のテレビ番組で、「人間は戦争をする生き物だ」と発言したことがある。つまり、中野氏によれば、戦争はまさに「人間らしい」ものなのである。
 この点をいち早く指摘しているのがジョージ・オーウェルだ。ぼくは以前、"Animal Farm" から読み取れる人生の苦い真実について、本ブログでこう要約したことがある。「たぶん小学生でも理解できることだろうが、飼い猫が家の中のネズミを捕らえて殺すのは、ネズミがご主人さまの食べ物をくすねる悪いやつだから、といって殺すのではない。猫には正邪善悪の観念はない。ところが、人間だけが正義のために闘い、正義のために敵を殺す。テロ、革命、戦争の根底にある本質はすべて同じだ」。
 と、こんなことくらい、茂木健一郎氏は先刻承知のはずだと思う。人間という生き物に関して、同じ脳科学者の中野信子氏と同じ認識をもっているに違いない。それなのにどうして、「戦争の悲惨は、国や正義といった『大きな物語』を信じる人たちによって引き起こされる」などと書いてしまうのか。それとも、本当にそう思っているのだろうか。だとすれば、脳科学者のあいだでも戦争についての見解は分かれる、ということなのか。
 閑話休題。"The End of Days" は非常におもしろい。しかし、またまた訂正をしないといけない。電車の中でコマギレに読んでいるせいか、ただのボケのせいか、こんどもひどい読み違いをしてしまった。
 前回の紹介では、第1部で死んだはずの「その子」が「第2部では母親になり、二人の娘をもうけている。娘たちの祖父はアメリカかどこかに移住したらしい」ということだった。が、実際は「その子」は二人の娘のうち、姉のほうで、祖父ではなく父親がアメリカに移住したかも、という話。いやはや、まったくもって情けない勘違いですな。
 さて、第2部のあと、ふたたびインターミッション。もしあの時こんなことが起きていたら、その後の人生はこんなふうに変わっていただろう、というのが趣旨。
 ふむふむ。で、第3部が始まると、やや、第2部で若い男に殺されたはずの姉が、なんと生きているではないか! いったい、どうなってるねん。
 現在、その意味について思案中。でも、またぞろボケをかましそうだ。
(写真は、今回の帰省で撮影した宇和島市神田(じんでん)川。ぼくが子供のころ、アヒルを追いかけているうちに溺れかけたあたり。通称「段落ち」だと、このほど母から教わった。ぼくを助けてくれたおばさんは、人命救助で表彰。新聞にも載ったという)