ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

"The End of Days" 雑感(4)

 一週間のご無沙汰でした。ビンゴー・キッドです。
 というセリフを聞いて、ああ、あのテレビ司会者のパクリだね、とひらめく人は、ぼくのようなジッチャン、バッチャン世代。ともあれ、いずこも同じ春の夕暮れ。年度初めとあって、のんびり趣味を楽しむ時間がなかった。
 いや、いまもない。表題作の "The End of Days" はあと少しだが、その少しをカバーするのが大変そう。
 とりあえず、いままでの流れを復習しておこう。「第1部で死んだはずの赤ん坊が、第2部では存命し若い娘に成長。しかし、ほとんど面識のない男に殺される。ところが第3部では生き残っている」。
 このかん、時代は20世紀初頭から第二次大戦前夜まで進み、舞台もオーストリア=ハンガリー帝国の田舎町からウィーン、さらにはモスクワへと変化。第3部で上の娘はオーストリア共産党に入党後、若い夫ともども旧ソ連に移住している。
 が、当時のソ連は、スターリンによる恐怖政治の時代。夫はトロツキストとして逮捕され、ヒロインも極東だったかに追放される。
 ところが、第4部では彼女はまたべつの人生を歩んでいる。夫は第二次大戦で戦死したという話だが、彼女自身は旧東ドイツで高名な作家となる。時代も1989年、ベルリンの壁崩壊まで一気に飛ぶ。
 しかし第5部では……というのがあと少しの部分。その内容はおおよそ見当がつく。とはいえ、「いよいよナチスの話になるのではないか」という第3部でのぼくの予想は大外れ。だから、どんな結末になりそうかは伏せておこう。
 それより問題は、上のようなSFのパラレル・ワールドに近い物語にどんな意味があるか、である。ぼくなりに察しはついているが、これもやはり最後を確認したほうがよさそうだ。
 話としては、まずまずおもしろい。それよりこの一週間、ぼくの趣味人生で最大のイベントは、コパチンスカヤ盤のチャイコンを初めて聴いたこと。いやはや驚いた。こんなチャイコンがあったとは!
 ぼくがチャイコンをわりとまめに聴くようになったのは、何年か前に映画「オーケストラ!」を見てからだ。メラニー・ロランの美貌とともに、チャイコンのすばらしさに完全KO。(余談だが、ヴァイオリンに詳しい人によると、メラニーの指使いには多少おかしいところがあるそうだ)。
 以来、数えて10枚目のチャイコンだが、思うにいままではどれも似たり寄ったり。いま、これを書きながら、ミルシテイン盤とオイストラフ盤を流していたが、どちらもオーソドックスながら、おとなしい。が、コパチンスカヤ盤はもうまるで次元が違う。そもそも、あんな奇怪な音は聴いたことがない。それなのに、その音が耳について離れない。宇宙時代のクラシックかも!
 が、心を打たれたという点から一週間を振り返ると、週末に一杯やりながら見た「コキーユ 貝殻」がいちばんだ。「楽しかった、本当に。やっと浦山君と恋ができたんだもの ―」
 ぼくはジッチャン世代なので臆面もなく偏見を述べると、男女を問わず、人が人と別れることについては、結果論にしても必然性があると思っている。だからもし万一再会しても、多くの場合、ろくなことにはならない。
 それがろくなことになる、と言うかハッピーな展開があるとすれば、これまた結果論だが、それなりの必然性が昔からあった、ということだろう。
 本作の場合、その必然性とは、まごころである。なかなか自分にそんなものがないだけに、なおさら、まごころがテーマの芸術作品は心にしみる。
 「コキーユ 貝殻」は、風吹ジュンの代表主演作でしょうな。
(写真は、宇和島市神田川原(じんでんがわら)にある抜け道。子供のころの風景をなるべく再現しようと、道の両端にしゃがんで撮影)