ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Melanie Dobson の “Chateau of Secrets”(3)

 文学は十人十色、いろんな見方や好みがあっていい。だから前回エラソーなことを書いたのも要するに、ぼくはこんなのが好き、とテキトーに言ったにすぎない。
 「文学の場合、作家の『思想やもくろみ』が高いか低いか、深いか浅いかは、その作品を評価するうえで相当に重要なファクターのひとつである」。
 「どんなに完成度は高くても、人生の厄介な問題、たとえば善悪や実存の問題などを素通りしたものだと、あるいは突っ込みが甘いと、それほど心に残らない」。
 ここで問題がある。では、どうやって「高いか低いか、深いか浅いか」、「突っ込みが甘い」かどうかを判定すればいいのだろう。
 厳密に論じると、いくら時間があっても足りない難題であるが、そこはよろずテキトー人間のぼくのこと。ひとつ、わりと簡単な方法がある、と思っている。
 登場人物がどれだけ善玉、悪玉に色分けされているか、を見ればいいのである。
 たとえば "Chateau of Secrets" の場合、この区別はかなり明確だ。二人のヒロイン GiseleChloe はもちろん善玉。一方、ドイツ軍の将校や Chloe のフィアンセは悪玉。その中間がほとんどいない。
 いちばん陰翳が濃いのは、Gisele の弟の恋人 Lisette だが、詳しく説明するとネタを割りすぎる恐れがある。「陰翳が濃い」とは、善と悪の要素が混在している人物だ、とだけ述べておこう。ただ、それも型どおりのキャラである。
 ここで毎度おなじみの引用。パスカルによれば、「人間は天使でも獣でもない」。つまり、この世には完全な善人も完全な悪人もいない。
 けれども、文芸エンタテインメントでは、どうしても「適度に類型的とならざるをえない」。「天使でも獣でもない」人間同士の対立よりも、天使と獣の闘いのほうが物語としておもしろいからだ。が、知的昂奮という意味でのおもしろさではない。
 フーっ、ここまで書いたら眠くなってきた。おしまい。
(写真は、宇和島市神田川(じんでんがわ)にかかる勧進橋。ただただ懐かしい)