ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Elizabeth Strout の “Anything Is Possible”(2)

 やっと2回目の駄文だが、あまり付け加えることはない。ひと言でいうと、「柳の下に2匹目のドジョウはいなかった」。
 ★ひとつの差だが、去年の "My Name Is Lucy Barton" のほうがずっといい。ぼくのように同書で味わった感動をもう一度、と期待に胸をふくらませて読むと、ううん、どうしてこんな「続編ないし補遺編」なんて書いたんだろう、とがっかりする。
 ただ、昔にくらべると、Elizabeh Strout はすいぶん芸達者になったものだ。処女作の "Amy and Isabelle"(1998)は未読で、ぼくが初めて読んだのは、2作目の "Abide with Me"(2006 ☆☆☆★)。「抑制が効きすぎて説明不足だったり、逆に色々なエピソードを盛りこみすぎたりしている点が気になるが、情感豊かな佳品である」。ネットサーフィン中にジャケ買いしたくらいだから、Strout は当時はまだマイナーな作家だったはずだ。
 ところが、ご存じ2009年のピューリッツァー賞受賞作、"Olive Kitteridge"(2008 ☆☆☆☆)でブレイク。「主人公の老婦人の性格設定が秀逸で、婦人の心の中には深い愛情と強烈なエゴが渦巻いている。気性が激しく、おのれの主張を枉げず、周囲に恐れられる存在でありながら、過敏とも言えるほど繊細な感情の持ち主で傷つきやすい。同じひとりの人間の矛盾した要素を描いている点で、Elizabeth Strout はまさしく第一級の作家である」。え、あの地味なイメージの Strout が、とビックリした憶えがある。
 4作目の "The Burgess Boys"(2013)は未読だが、去年の "My Name Is Lucy Barton" で、Strout 健在なりとの思いを強くした。「本書のエピソードのすべてが感動的なわけではないが、これを読めば、読者もまた主人公と同様、美しい残照のなか、わが人生をふりかえり、自分にも永遠の一瞬があったことを思い出すのではないだろうか」。
 と、駆け足で今までの作品を振り返ったところで、さてこの "Anything Is Possible"。途中のメモに、「いいんだけど、ありきたり」、「イマイチ」としるした短編がいくつかあり、総合評価は☆☆☆★★。まあ、読んでおいていい、という程度だ。
 おおむね small moments of human sadness(p.205)を集めたものだが、We're not always alone.(p.62)という話もある。テーマとしても「いいんだけど、ありきたり」という気がする。
 最後の物語 "The Gift" の結末はこうだ。Abel had a friend. And if such a gift could come to him at such a time, then anything .... he opened his eyes, and yes, there it was, the perfect knowledge: Anything was possible for anyone.(p.254)
 Abel は心臓発作だったかを起こし、救急車で運ばれて行くところ。それまでの展開がおもしろく、昔のマイナ−・ポエット Strout だったらこんな話は思いつかなかっただろうなと感心したが、感動的とまでは言えない。★はひとつオマケでしたね。
(写真は、宇和島市宇和津小学校にほど近い八百屋さん。この自販機で、中学時代の恩師、タケノリ先生がお孫さんにジュースを買っているところを見かけたことがある。満面の笑みだった。その先生はとうに他界。お孫さんはもう40代近いかもしれない)