ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Paul Auster の “4321”(1)

 数日前、Paul Auster の "4321"(2017)をやっと読了。866ページもある分厚いハードカバーで、腕力のない通勤読書派のぼくは持ち運びにかなり苦労した。ペイパーバックの分冊版が欲しいところだ。きょうは日曜日。〈自宅残業〉の合間にレビューらしきものを書いておこう。

4 3 2 1

4 3 2 1

Amazon
[☆☆☆★★★] 大力作のメタフィクションである。1900年、ニューヨーク港に降りたったユダヤ系ロシア移民の孫ファーガソンが少年時代から1970年まで、四とおりの人生を歩む姿を描いたSFのパラレル・ワールドに近い設定だが、単なる思いつきではなく歴とした必然性があり、仮想現実とフィクションがごく自然に融合。家族や友人、恋人たちとのふれあいがもたらす心中の葛藤は青春の嵐そのものだが、それは同時にケネディの登場と暗殺、ヴェトナム戦争反戦運動コロンビア大学紛争、黒人公民権運動など、60年代の大事件や政治状況とも密接にかかわっており、四者四様、それぞれ同じ激動の時代に思春期を過ごした歴史の生き証人の回顧録、壮大な「総合青春小説」に仕上がっている。なかには世界の名著名作にふれることで文学に傾斜し、学生新聞への投稿や仏詩の翻訳などを通じて創作活動をはじめるファーガソンもいて、ユダヤ系という出自や年齢も考慮すれば、これはオースターが自身の体験をフィクション化した自伝小説と位置づけることもできる。青春とはいろいろな可能性を秘めた時代であり、その可能性を四つのパターンに大別し、それぞれの流れを追いかけたもの、というのが本書のメタフィクションたるゆえんであり、『冬の日誌』『内面からの報告書』とつづいた自伝シリーズの延長線上にある総決算的な小説ともいえよう。それゆえこの膨大な量となったわけだが、残念ながら力作どまり、傑作とは評しかねる。四とおりの人生、四つの可能性は示されても、四つの価値観が提出されているわけではないからだ。意見の相違は、たとえばヴェトナム戦争をめぐるものなど、あくまで外的・政治的な次元にとどまり、四人のファーガソンがそれぞれ異なる人生観・世界観を有して内的・精神的に激突するわけではない。酷評すれば四人とも似たり寄ったり。それなら、これほどの紙幅を費やしてパラレル・ワールドを構築するまでもなかったのではないか、ということになる。自伝小説ゆえの限界かもしれないが、巨匠オースターにはその限界を超えて欲しかった。それが超えられなかったところに彼の限界があるということか。