ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Lawrence Durrell の “Clea (Alexandria Quartet 4)”(2)

 ようやく風邪も治り、フォークナーのスノープス三部作第二巻 "The Town"(1957)を読んでいる。前作ほどではないが難渋する箇所がけっこうあり、今回も時間がかかりそうだ。フォークナーは10年前でさえ手こずったのに、 

老後に取り組んでみると、いやはや、その難しさがえらく脳ミソにしみこんで来ますな。
 そういえば、"The Hamlet" のレビューにスターを付けてくださった方がいる。Ketone さん、bolla さん、ありがとうございます。いつものように四苦八苦しながら書いた拙文なので、うれしいやら恥ずかしいやら。
 さて、きょうはやっと Lawrence Durrell の "Clea"(1960 ☆☆☆☆★)について補足する番だ。 

 "Mountolive"(3)で示したフローチャートの続きを書くと、時が流れA男にもやっと真実が見えてきた、というところだろうか。事件の渦中にあるときほど真相はわからないものだ。

 と、いま「真実」「真相」という言葉をなにげなく使ったが、それらと「事実」を日本人はほぼ同じ意味で使っているようだ。その証拠に、ぼくの愛用するロングマン英和辞典によると、the naked truth の訳語は「ありのままの事実」。ところが、the plain / simple / unraveled truth となると「ありのままの真実」。
 国語辞典までは調べなかったが、ぼくは "Clea" を読んでいるとき、truth と fact の違いが気になってきた。.... the mutability of all truth. Each fact can have a thousand motivations, all equally valid, and each fact a thousand faces! So many truths which have little to do with fact!(p.708) Blind as a mole, I had been digging about in the graveyard of relative fact piling up data, more information, and completely missing the mythopoetic reference which underlies fact. I had called this searching for truth!(p.791)
 これはむろん作中人物たちの言葉だが、本書のテーマに深くかかわっているものとぼくは思う。そこで、おなじく愛用の Longman Dictionary of English Language and Culture で fact を調べてみると、something that has actually happened or is being happening; something known to be or accepted as being true。
 ううむ、この2番目の定義がクセモノですな。では truth はどうかというと、that which is true; the true facts。これではラチが明かない。で、true は in accordance with fact or reality となっている。
 なんだ、ふたつは結局おなじ意味なのか。そこで困ったときの神頼み、Webster's New Dictionary of Synonyms に当たってみた。fact の項目こそなかったものの、truth は a general term ranging in meaning from a transcendent idea to an indication of conformity with fact and of avoidance of error, misrepresentation, or falsehood。
 なるほど、上の "Clea" の引用部分における truth とは、単数形の場合、 a transcendent idea を意味していたわけだ。となれば、この意味で Truth is double-blades, you see.(p.797)という文言も解釈しなければならないことになる。
 ぼくはレビューを書いたとき、以上のような辞書確認はサボり、the real essence of fact-finding, the naked truth .... If two or more explanations of a single human action are as good as each other then what does action mean but an illusion .... ?(p.791)など、ほかのいろいろな箇所を上のくだりとつなぎ合わせ、こうまとめた。「(本書では)真実の可変性、多面性が明らかにされる。真実とは『もろ刃の剣』であり、これを言語でとらえるのは至難の業。矛盾する事実が同時に存在する状態こそ『ありのままの真実』であり、この状態はジョークやシンボリズムによってしか表現しえない。唯一絶対の真実が存在しないのなら人生は幻想もしくは相対的なフィクションにすぎず、人は過去・現在・未来の時間の流れの中で傷つきながら生きていくしかない」。
 ふう、くたびれました。この続きはまたこんど。
(写真は、愛媛県宇和島市吉田湾。先月の帰省中に撮影。この秋景色を目にしたのは、小学校の遠足以来だろう。当時、吉田町はまだ宇和島市に統合されておらず、小学生のぼくはまるで別世界でも見るような気がしたものだ)

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