ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

“The Green House”(2)と “No One Belongs Here More Than You”(2)

 きのうまで飛鳥・奈良・京都を旅行していた。雨は一滴も降らず、きのうの昼など京都市内は22度。この時期に奈良や京都で汗だくになったのは初めてだ。
 閑話休題。きょうは2冊まとめて補足しておこう。まず "The Green House"(1966)だが、いくら不勉強のぼくでも、さすがに Mario Vargas Llosa の名は、また本書が彼の代表作のひとつであることも以前から知っていた。
 それゆえ Llosa のノーベル文学賞受賞(2010年)のニュースが飛び込んできたときは、しまった!と思ったものだ。こんなことなら、もっと早く読んでおけばよかった。それから8年。このほど〈文学のお勉強シリーズ〉の一環で、やっと重い腰を上げたというわけだ。
 いやはや、これ、ムツカシかったですな! まず「複雑な叙述形式」に馴れるまでがひと苦労。少し引用しようと思ったが、本を開いただけで旅の疲れがドッと噴き出してきそう。とにかく開巻早々13ページほど、小さい活字でいっさい改行なし。なんじゃこりゃ、ですわ。おかげで、いやと言うほど〈お勉強〉になりました。
 レビューも、ぼくはこう読みました、という程度のもの。開き直って、さらに独断と偏見を続けると、Llosa は、ぼくが今まで英訳で読んだラテアメ文学とはひと味違うような気がする。Marquez をはじめ、Bolano、Cortazar、Donoso、Fuentes など、いずれも大なり小なりマジックリアリズムに特色があったはずだが、Llosa の場合は、あくまでもリアリズムが根底にあると思う。
 ただし、それは白人とインディオなど、「さまざまな対立要素が重層的に共存している社会の現実」、植民地時代に端を発する「アマゾンの源流のような分裂状態」を描いたものである。その分裂がすなわち彼らの生き方、つまりペルーの国民文化であり、それが複雑で難解な文体にも反映されているのでは、というのがぼくのざっとした印象だ。
 さて、お次は Miranda July の "No One Belongs Here More Than You"(2007)。2005年から2015年まで続いたフランク・オコナー国際短編賞のうち、ぼくが読んだ受賞作はこれで9冊目。正直言って、あまりピンと来なかった話もあり、旅行から帰ってみると、レビューで取り上げた第2話 "The Swim Team"(☆☆☆★★★)くらいしか憶えていない。
「女ひとり、いや人間誰しも、生きているといつかは重大な局面が訪れるもの」だなんて、あまりにも当たり前。たぶんぼくの読みが浅いだけで、読む人によっては、もっと深い意味を汲みとれることでしょうね。
(写真は、こんどの旅行で撮った高松塚古墳