ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Patrick Modiano の “Suspended Sentences”(2)

 きのうはぼくの最終出勤日だった。40年近く勤めた職場とも、いよいよオサラバ。昼前に帰宅し、かみさんともども、シャンパンで祝杯をあげた。
 老後の予定は特にない。とりあえず、きょうの午後から、ほぼ40年ぶりにハワイに出かけ、4月には愛媛の田舎に帰省することになっているだけだ。あとは、読みたい本を読み、聴きたい音楽を聴き、見たい映画を見る。ただ、田舎でホームに入っている母のことがあるので、そう好き勝手なことばかりしていられない。
 閑話休題。この "Suspended Sentences" は先週、飛鳥・奈良・京都を旅行したときに持ち歩いていた。しかし結局、旅行中に読みおえたのは第1話の "Afterimage" だけ。汗だくで歩き疲れ、宿ではほとんどバタンキューだった。
 本書を旅の友に選んだのは、先月読んだ "Missing Person"(1978)がなかなか面白かったから。評価はやはり☆☆☆★★だったが、ちと厳しすぎたかな。個人的な好みだけで言うと、★(約5点)をひとつオマケしてもよかった。
 とにかく、まだ "Modianesque"(モディアノ中毒)にこそかかっていないものの、Modiano を読むのはこれで3冊目。わりとハマりつつあると言ってよい。好きな作家だ。こんどのハワイ旅行にも持って行こうと思っている。
 こんな一節はどうだろう。I knew that there was no longer any point in waiting for him. I searched through the closets upstairs, but there was nothing in them, not a single article of clothing, not even a sock. Someone had removed the sheets and bedclothes, and the mattress was bare. Not one cigarette butt in the ashtrays. No more glasses or bottles of whiskey. I felt like a police inspector looking through the apartment of a man who'd been wanted for a long time, and I told myself it was useless, since there was no proof the man had ever lived here, not even a fingerprint.(pp.49-50)
 主人公が3ヵ月ほど親しく接していた男が突然姿を消したときのことである。このくだりを読んだとき、ぼくはビックリしたが、それ以上に「私」は愕然としたに違いない。男が「立ち去ったあとの部屋はまさに空虚そのもの。それはふだん接している人々が、ある日を境に突然姿を見せなくなった不条理を端的に物語っている」。
 この第1話 "Afterimage" の冒頭はこうだ。I met Francis Jansen when I was nineteen, in the spring of 1964, and today I want to relate the little I know about him.(p.3)
 これと上のくだりを付き合わせると、なるほど、だから「私」は Francis Jansen の話がしたかったんだな、ということがわかる。ほかにも同様の場面がいくつもあり、それをぼくはレビューでこうまとめた。「抑制の効いた筆致で淡々と描かれるだけに、すべてが懐かしい。これほど過去にこだわる背景には、人生とは苦渋に満ちた不条理で空虚なものという思いがあるのかもしれない」。
 では、ハワイに行って来ます。
(写真は、先週訪れた飛鳥寺