ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Patrick Modiano の “Dora Bruder”(2)

 今回のハワイ旅行の友に Modiano を選んだのは、本のサイズが軽薄短小だったから。Modiano は旅の直前にも読んだばかり。同じ作家のものは内容がある程度予測できるので、ふだんはなるべく連続して読まないようにしているのだが、旅行となると話は別。自分好みとわかっていて、かつ薄い本を2冊持っていくことにした。
 行きの機内で読みはじめたのが "Dora Bruder"(1997)。なにしろ、ほぼ40年ぶりの海外旅行とあって、気の小さいぼくは出発前から胃が痛く、また興奮気味で、機内ではろくに読めなかった。
 ワイキキビーチでのんびり読んでいるうちに、こんな一節が目に止まった。... I had embarked on a book ― my first ...(p.57)そうそう、旅行前に読みおえた "Suspended Sentences"(1993)にも、同じような記述があったっけ。

 そこでふと、同書における「作家としての雌伏時代」の意味がけっこう重いことに気がつき、ホテルでレビューにこう補足した。「(…すべてが懐かしい)。それはまた、雌伏時代の作家の悪戦苦闘を想起させるだけに、切ない」。

 同書も "Dora Bruder" も過去の detail にこだわる本である。そのせいか、帰りの飛行機が飛び立ったとき、窓の外に広がるワイキキビーチが、その向こうにそびえるダイヤモンドヘッドがとても懐かしく思えた。たぶんもうハワイには来ないだろうな。

 帰りの機内で "Dora Bruder" を読みおえた瞬間、思わず目頭が熱くなった。さいわい、隣りの席の人は爆睡中。それを見て感涙も止まり、本書の点数評価を考えはじめた。
 これはひょっとしたら、Patrick Modiano の代表作のひとつかもしれない、というのが最終的な結論である。サイズは軽薄短小だが、中身は重厚、というより深い。My favorite Modiano は "Paris Nocturne"(2003)で変わりないが、"Dora Bruder" のほうが深い。
 その根拠の大半は、エンディングにある。しかしそれを引用していいものかどうか。あまりネタを割ってはいけない。ううむ、最終パラグラフの半分だけにしよう。I shall never know how she passed her days, where she hid, in whose company she passed the winter months of her first escape, or the few weeks of spring when she escaped for the second time. That is her secret.(p.119)
 その secret が「人間の尊厳」を暗示している、というのがぼくの解釈だ。上の続きを読めば納得できるだろう。結局、ここには「人間の尊厳とは、虐殺によってさえ奪い得ぬもの、というメッセージ」がこめられているように思う。
 そのメッセージが高らかな宣言ではないところが、いかにも Modiano らしい。上の引用箇所の直前には、こんなくだりがある。I walk through empty streets. For me, they are always empty, even at dusk, during the rush hour, when the crowds are hurrying toward the mouths of the metro.(p.119)
 これをぼくは当初、「人生とは空虚なもの、という…人間観」と表現したが、「人生への空虚感という…人生感覚」のほうが正しいかな。いずれにしても、こういうマイナスの要素がプラスのメッセージと結びついているところに Modiano の深さがあると思う。