ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

W. G. Sebald の “Austerlitz”(2)

 もっか、父の七回忌その他で愛媛の宇和島に帰省中。桜は先週が見頃だったらしいが、いまはもうほとんど葉桜ばかり。かろうじて残っている花も、きょうの雨ですっかり散ってしまうことだろう。
 その代わり、きのう訪れた市内天赦園の上り藤は、受付の案内によると例年より一週間早く満開。園内の池にかかる白いアーチ状の藤棚がとてもみごとだった。

 読書のほうは小休止。電車の中では、帰省前から読みはじめた Rohinton Mistry の "A Fine Balance"(1996)を3分の2くらいまでカバーしたが、実家に着いてから4日間、田舎のノンビリした空気に染まってすっかりダラケてしまい、ろくすっぽ進んでいない。
 というわけで、きょうは予定どおり "Austerlitz" について少しだけ補足しておこう。これは今回新たにスタートさせた〈恥ずかしながら未読シリーズ〉の一環で取りかかった。え、あんた、まだ読んでなかったんですか、というやつだ。このシリーズ、えんえんと続きそうですね。
 いままで読んだことのある Sebald の作品は、"Vertigo"(1990)と "The rings of Saturn"(1995)。ぼくの評価はどちらも☆☆☆☆(約80点)。で、こんどの "Austerlitz" が☆☆☆☆★(約85点)。いまさらながら、すごい作家だ。
 3作をおおざっぱにまとめると、どれもトラベローグ。主人公があちこち巡り歩きながら目にした珍しい風物についてことこまかに述べ、そのコメントに関連した写真や図版が挿入される。この特異な風物、詳細な描写、写真という、いわば三位一体のリンク効果がいちばん鮮やかなのが "Austerlitz" かもしれない。
 というのも、すべて「時間」あるいは「時間の表現」に収斂された、わかりやすいイメージの本だからだ。... I have always resisted the power of time out of some internal compulsion which I myself have never understood, keeping myself apart from so-called current events in the hope, as I now think, said Austerlitz, that time will not pass away, has not passed away, that I can turn back and go behind it, and there I shall find everything as it once was, or more precisely I shall find that all moments of time have co-existed simultaneously, in which case some of what history tells us would be true, past events have not yet occurred but are waiting to do so at the moment when we think of them ...(p.144)
 フーッ。長い引用でくたびれたが、本書の根底にこういった「時間への思い」が流れていることはまず間違いないだろう。建築物や展示品、物品の細部への異様なこだわりも、「時間への執着」と言えるかもしれない。
 それにしても、ブログ更新のため、たった一ヵ所の引用のためにわざわざ分厚いペイパーバックを田舎に持ち帰ったとは、われながら感心。というか、バカみたいですな。