ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Dave Eggers の “What Is the What”(3)

 この本については書きたいことがたくさんある。ありすぎて、数回では収まりそうにないくらいだ。きょうは最重要点と思われることだけ挙げておこう。
 まず、これは純然たるフィクションではない。おそらく周知の事実だろうが、著者 Dave Eggers と、Valentino Achak Deng という実在のスーダン難民とのコラボによって生み出された作品である。
 そのむねが Deng 氏による序文にしるされているが、この序文は本書を通読後に読んだほうがいいと思う。(ぼく自身はどんな作品でも、序文や「あとがき」のたぐいは、必要だと判断したときだけ読むことにしている)。序文を先に読むと、どこがフィクションで、どこが事実か、などと余計な詮索を始めるかもしれない。それが本書の鑑賞の妨げになる恐れがある。
 つぎに、これほどの傑作なのに、また出版後10年以上もたつというのに、邦訳はまだ刊行されていないようだ。こういうとき、通常は「売れない」という判断が働いているはずだが、本書の場合はべつの事情も考えられる。
 上の序文によると、本書から著者が得た収益はすべて Deng 氏のものであり、スーダン国民および海外在住のスーダン人の生活向上のために使われる、という契約になっているそうだ。この契約が邦訳刊行のネックになっている可能性がある。
 また、本書には Noriyaki Takamura という日本人も登場する。彼は Wakachiai Project というプロジェクトでスーダンに滞在する NGO の一員だが、この Noriyaki と同プロジェクトにも実在のモデルがありそうだ。その関係者の承諾が得られないのかもしれない。
 ともあれ、どんなネックがあるにせよ、本書は日本でも翻訳されるべき作品だと思う。これは、こんなマイナーなブログで発信しても自己マンにすぎないのだが、ぼくにしては珍しく、声を大にして言いたい。
 ひとつには、ぼくのように、スーダンのことを何も知らない日本人がたくさんいるのでは、と思うからだ。スーダンのことを知るべき理由については、無責任な言い方になるが、本書を読めばすぐに納得できるだろう。
 けれども、本書が翻訳に値するゆえんは何よりもまず、これが非常にすぐれた文学作品だからである。「人間が人間であるゆえんは『何か』、としばし考えさせられる感動的な傑作」だからだ。
 と、そこまで書いておいて、その根拠となる具体例を挙げないのはいかにも尻切れトンボだが、きょうはジムで運動したので疲れた。おしまい。
(写真は、先月の帰省中に訪れた四国八十八ヵ所霊場、第42番札所、仏木寺