ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Dave Eggers の “What Is the What”(4)

 前回(3)からずいぶん間があいてしまったが、あと少しだけ補足しておきたい。本書はスーダンの内戦によって発生した難民の物語ということで、彼らに襲いかかる危険や困難がリアルに描かれている。が、それは、あえて不謹慎な言い方をすれば〈想定内〉。小説の題材としては定番のものだ。
 それよりぼくがまず引き込まれたのは、このスーダン難民が必ずしも善人ぞろいの集団ではないことである。おなじ難民なのに差別意識階級意識があり、アメリカに移住したあと、キャンプ生活では起こらなかった部族間の対立も生じている。個人としての難民の心中には、「欲望、嫉妬といった負の要素」が潜んでいる。どれも当たり前の事実だが、それを包み隠さず書いているからこそ、ほかの内容も信じられるのである。
 Wakachiai Project というプロジェクトで日本のNGOが難民救済活動にたずさわり、Noriyaki Takamura という日本人が登場することは前にもふれたが、この日本人の描き方もリアル。いかにもお人好しで、あ、これ、ほんとに日本人らしいな、と思ったものだ。
 一方、日本と同じアジアの某国に関してはこんな記述がある。It is the Chinese and the Malaysians who are making this war worse. These two countries alone own 60 percent of the oil interests in Sudan. ... China wants the south (Soudan) insecure, because this keeps out other countries who don't want their hands dirty with the human-rights abuses around this oil extraction!(pp.437 - 438) さもありなん、ですな。
 こんなくだりはどうだろう。Tabitha, I will love you until I see you again. There are provisions for lovers like us. I am sure of it. In the afterlife, whatever its form, there are provisions. I know you were unsure about me, that you had not yet chosen me above all others, but now that you are gone, allow me to assume that you were on your way to deciding that I was the one. Or perhaps that's the wrong way to think. I know you entertained calls from other men, men besides me and Duluma. We were young. We had not made plans.(p.358)
 恋人 Tabitha の訃報に接した主人公の述懐である。「ぼくたちは若かった。まだ何の計画も立てていなかった」。泣けるセリフだ。
 現象的には日本の現代小説でも似たような場面が出てくると思う。いま寝床の中では林望訳『源氏物語』をボチボチ読んでいるのだけれど、その前は島本理生橋本紡川上弘美。3冊続けて読んだところで小休止。どれも面白かったが、どれも物足りない。上のくだりから、内戦や難民・移住生活という背景をすべてカットしたような話ばかりだった。
 改めてネットで調べてみたが、やはり本書の邦訳は未刊のようだ。どこか奇特な出版社はないものでしょうか。
(写真は、愛媛県宇和島市の辰野川近辺。先月、父の7回忌で帰省中に撮影。6年前の拙句だが、父逝きて青葉目にしむ里帰り)