今年のブッカー賞候補作、Daisy Johnson の "Everything Under"(2018)を読了。さっそくレビューを書いておこう。(7月25日の候補作ランキング関連の記事に転載しました)
[☆☆☆★★★] 冒頭は
認知症の母親と同居する娘の話。とくれば、いわゆる〈難病もの〉か親子の断絶がテーマだろうと思ったが、以後の展開はそんな
固定観念にもとづく予想をみごとに裏切るものだった。これは神なき現代における人間の運命を寓話的に描いた、『
オイディプス王』の
本歌取りとも言うべき秀作である。が、その意図はすぐには見てとれない。16年前に失踪した母親を娘が探しまわる一方、その昔、
テムズ川へとつづく運河で母とふたり、ボート暮らしをしていた時代を回想。また一方、当時ふたりの前に現れた少年の冒険物語もスタート。この三本立ての進行が巧みでサスペンスにあふれ、ハートウォーミングなふれあいと緊張の一瞬が交錯するなか、『
オイディプス王』を思わせる複雑な人物関係が次第に明らかになる。むろん
ギリシア悲劇のように神と人との劇的対立はありえず、そのぶんスケールの小さいドラマではあるが、それは
現代文学の宿痾。にもかかわらず、娘が辞書編纂者となった経緯からうかがえる「始めに言葉ありき」という言語、愛と血のつながりとしての家族、このふたつの要素が人間の思考と行動を決定づけるもの、すなわち運命であることを本書は
如実に物語っている。神なき現代にあって運命とはなにか、その具体的な意味にこれほど迫った試みも珍しい。劇的感動こそ得られないものの、古典古代ならぬ現代が舞台の試みである点を大いに評価したい。