ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Guy Gunaratne の “In Our Mad and Furious City”(2)

 Anna Burns の "Milkman"(2018)をボチボチ読んでいる。最初はただのストーカー小説くらいに思っていたが、どうしてどうして、けっこう知的昂奮をかき立てられるくだりもあって、なかなか面白い。ひょっとしたら、今年のブッカー賞レースに出走した旧大英帝国産の馬の中では、最高の仕上がりかもしれない。
 が、今週はどうもバテ気味で思うように先へ進まない。わが家にはクーラーがなく、扇風機でしのいでいるのだが、もう限界ですな。それから、今月はジムで頑張りすぎた。この10年ほどで初めて中性脂肪の数値が基準以内におさまったのはいいけれど、裏を返せば、それだけ走り、泳いだということ。いやはや、キツかった。
 閑話休題。この "In Our Mad and Furious City" は、ぼくの評価ではいまのところ、旧大英帝国産の中で第2位だが、上の事情で第3位になるかもしれない。しかしなかなか上出来だと思う。イギリスの移民問題を扱った作品としては、たまたま最近読んだ今年の Women's Prize for Fiction 受賞作、Kamila Shamsie の "Home Fire"(2017 ☆☆☆★★)より一枚上といったところでしょうか。
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 あちらは移民をイスラム系に絞り、「市民社会における地位の確保か、それともジハードか。万一ジハードの戦士を輩出した場合、のこされた家族はどう対応すべきなのか」という問題が焦点だった。
 こちらはイスラム系だけでなく、カリブ系黒人、さてはアイルランド系も登場。それぞれ親の世代にさかのぼりながら、若者たちが移民社会で直面する問題が描かれている。その中にはむろん、"Home Fire" で扱われていたものもある。重層的な対立構造という点では明らかに本書のほうがまさっている。
 山場はタイトルどおり、「怒りと怒り、狂気と狂気の激突」シーン。「とりわけ最後の対決、畳みかけるようなカットバックで複数の視点から描いた流血の大混乱がすさまじい」。この迫力ひとつとっても、"Home Fire" より上ですな。
 ここでふと思い出したのが、映画「ノルウェイの森」の学生デモシーン。ぼくは学生運動華やかなりしころを、かろうじてリアルタイムで知っているので断言できる。あのシーンはウソ。デモの中を「僕」のような一般学生が歩けるわけがない。あるセクトの立てこもる号館にべつのセクトが乱入しようとする場面に遭遇したことがあるが、互いに鉄パイプやゲバ棒を振りまわすなど、どちらの狂気もハンパではなかった。
 けれども、当時の学生運動家たちは、それを狂気の沙汰と考えていたわけではない。むしろ彼らは正義の闘士を自認していたように思う。それにくらべ、ぼくのようなノンポリは正義に無関心のダメ学生という意識があったのかどうか、それすらも怪しい。
 ともあれ、上の事件の数年後、ぼくはチェスタトンの『正統とは何か』を読んだ。「狂人とは理性を失った人ではない。狂人とは理性以外のあらゆる物を失った人である」。(福田恆存他訳)
 有名な言葉だが、こういう認識が Guy Gunaratne には欠けている。狂気と理性を正反対のものと理解しているフシがあるからだ。「若者特有の素朴な正義感と、暴走する政治的イデオロギーや宗教感情とを対比させるのが本書の当初からの図式。フランス革命ロシア革命など、近現代における理想主義の栄光と悲惨の歴史を振り返れば、この図式に青年作家らしい甘さがあるのは一目瞭然」ですね。
 ところが、冒頭で紹介した "Milkman" の作者 Anna Burns は、どうやらチェスタトンに近い認識を持っているようなのだ。しかしまだ先を読まないと何とも言えない。これからしっかり見極めようと思っています。
(写真は、愛媛県宇和島市佛海寺、山門から見た市街風景)