ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Anna Burns の “Milkman”(2)

 いつかも書いたが、これは読んでいる最中から「旧大英帝国産の馬の中では最高の仕上がり」と思っていた。読後の感想もそのとおり。レビューで指摘したような欠点はあるものの、本書がブッカー賞のショートリストに入選したのは順当な結果でしょうね。
 巻頭の紹介によると、Anna Burns の旧作長編は2冊だけらしい。第2作の "No Bones" がオレンジ賞最終候補作だったとあるので調べてみたら、なんと2002年のこと。寡作だが息の長い作家のようです。
 などと、ぼくにしては珍しく書誌的な興味がわいたのは、彼女の現代社会をとらえる鋭い観察眼に驚いたからだ。本書が賞レースの先頭争いを演じているのは間違いなさそうですな。
 舞台は明示されていないがおそらくベルファスト。1970年代、市内にカトリック系住民の飛び地があり、通りをはさんでプロテスタント系住民とにらみ合う、という事態が実際にあったらしい。本書の背景を調べているうちに、そんな記事を読みました。
 だから現地ファン、とりわけアイルランドの人たちからすれば、本書のちょっとしたエピソードも、ああ、これはあの事件が元ネタだなとか、これはいまのこんな状況とおなじだぞ、といろいろピンと来ることがあるのではないかしらん。よもや、アイルランドの作家が東洋の島国のことを頭に置きながら作品を書くはずはあるまい。
 と、そんな当たり前のことを考えたのは、読めば読むほど、これがその島国の現状をみごとに風刺しているような錯覚にとらわれてしまったからだ。「多くの人々が誤情報や偽情報を真実と見なし、虚報にもとづいて人格攻撃や魔女狩りに走る」。「事実を検証せず、自分の偏見と先入観に気づくこともなく、立場の異なる相手を糾弾する社会」。
 たとえば、と具体例を挙げたとたん、バリザンボーの嵐が襲ってくるかもしれない恐ろしい状況がその島国にはある。アイルランドもきっと似たり寄ったりなのだろう。いやアイルランドにかぎらず、たぶんどこの国でも、というわけで、「本書は、そんな情報化社会における大衆ヒステリーの危険をアレゴリカルに描いた力作である」。(つづく)
(写真は、愛媛県宇和島市佛海寺の池。10年前の夏、お施餓鬼の夜に撮影)