ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Max Porter の “Lanny”(1)

 きのうの夕方、サキの短編、実質的にはショートショート『ひらいた窓』の拙訳をアップ。それから十数ヵ所、少しずつ加筆修正している。初稿よりは、いくらかマシになったかもしれない。それでもまだ文字どおり拙訳ながら、スターを付けてくださった knana19さん、seia_youyong さん、otoufunochikara さん、どうもありがとうございます。
 本ブログで〈翻訳〉を発表したのは2回目。おととしの9月、ヴェルレーヌの「秋の歌」以来だ。あれは英訳からの重訳だった。あのときも、つれづれなるままの時間つぶし、という名のストレス発散でしたね。これからも、そんなきっかけで〈翻訳〉をアップすることがあるかもしれません。 

 さて先ほど、ようやく Max Porter の "Lanny"(2019)を読みおえた。すでに何度か紹介したとおり、イギリス現地ファンのあいだでは、今年のブッカー賞ロングリストに入選か、との呼び声が高いのだけれど、さてどうでしょうか。 

Lanny

Lanny

 

[☆☆★★★] 核心のネタは割れないが、べつにどうということもない話だ。ロンドン近郊の村に住む少年ラニーが、初老の画家に絵を教えてもらう。ラニーの父親は一介のサラリーマン、母親は俗悪なミステリ作家。この四人の会話や独白がつづく一方、イギリス建国当初から村に住みついているという伝説の人物が、四人のほか、いろいろな村人たちの声に耳をかたむける。やがてラニーは森のなかで失踪。画家に事件関与の疑いがかけられる。このとき現出するのは「時間のひだ」、「現実と非現実のはざま」にあるファンタジーのような世界で、マジックリアリズムの技法により、文明社会と対比させた人間と自然の一体化、偏見や固定観念を超えた純粋な心のふれあいが描かれる。しかしひるがえって、そうした平凡なテーマなら、なにも超絶技巧を弄するまでもあるまいに、と鼻白んでしまう。そもそも「現実と非現実のはざま」なる領域にわけいるからには、それ相応の説得力と、その力を具現した強烈な物語性を要するはずだが、本書にそうした美点はいっさい認められない。豊かな詩的想像力の浪費におわった凡作である。