ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

イーデン・フィルポッツの『赤毛のレドメイン家』

 きょうから3連休、ついでお盆休み。いままでテンプで復職後、ずっとオイソガシだったぼくも、ドラ娘の日程に合わせてひと息いれることにした。今晩、羽田からフランスへ飛ぶ予定になっている。
 地獄の超繁忙期が終わって一週間、自分のペースで仕事をできるようになったのはいいけれど、旅行準備と、旅行後の仕事再開の準備でけっこう慌ただしかった。おかげで、出発前になんとか読みおえようとがんばった Jokha Alharthi の "Celsestial Bodies" も、結局、手荷物に加わる破目に。
 これ、途中まで、というか第1ラウンドまではけっこう面白い。が、第2ラウンド以降がちょっと退屈。オマーンの村に住む3人娘と、その両親、長女の夫、一家の女中(黒人奴隷)とその家族などが入れ替わり立ち替わり、身の上話を語る。それぞれ、まるで一筆書きのように過去の回想から現在のエピソードまで切れ目なく続き、家族愛や夫婦愛、恋愛といった光の要素と、それに伴う悲哀と苦悩、対立など影の要素が示される。こうした光と影の対比は、家庭小説定番のテーマながら、なかなかいい。
 が、それも第1ラウンドまで。そのあと第2、第3、いま読んでいるくだりが何ラウンドかは知らないけれど、いわば金太郎飴。似たり寄ったりの話ばかりで、いつ読むのを中断しても、いつまた再開してもかまわない。いきおい、上の事前準備のほうが気になってしまった。
 そこできょうは、フランスとはまったく関係ないが、超繁忙期のころからボチボチ取り組んでいた、イーデン・フィルポッツの『赤毛のレドメイン家』の冒頭部分の拙訳をアップしておこう。ご存じ江戸川乱歩激賞の傑作推理小説だけど、最近ではどうもあまり人気がないようだ(文藝春秋編「ミステリーベスト100」第48位)。
 けれども、ぼくは高1か高2のとき、角川文庫版を読み終わって感動に打ち震えた記憶がある。そのわりに、その後再読したことは一度もないが、推理小説ってまあ、そんなものだろう。
 当時、ここを読んでみろよ、と友人に示したのが、きょうアップした最後のくだり。「へえ、こんなのが推理小説とは思えんのう」という彼の言葉をいまでも憶えている。訳してみると、先日アップした『おもいでの夏』とほぼおなじ。ぼくは昔から少女趣味、いや、少年趣味だったようだ。
 文字どおりの拙訳で、気になる箇所も多いけれど、それは旅行から帰ってボチボチ修正するとしよう。 

The Red Redmaynes

The Red Redmaynes

 

 人はだれでも有名になるまで、うぬぼれる権利がある。とそう世間では言われる。そしてことによると無意識のうちに、マーク・ブレンドンもそんな意見の持ち主だったかもしれない。
 といっても、マークは自尊心がひときわ強いわけではなかった。ただ、控えめなのは二流の人物だけだ、というのが持論だった。三十五歳で、早くも警察の犯罪捜査課で高い地位についていた。それどころか、警部職の拝命も時間の問題だった。当然の成りゆきである。勇気と才覚、勤勉という必要条件にくわえ、想像力と直感という資質にも恵まれ、現在の確固たる成功の源となっていたのだ。
 すでに相当な実績ものこし、先の大戦中には、いくつか国際的な事件で成果を上げたことで、ますます信用が高まっていた。このぶんならきっと、十年後には官職から身を引き、私立探偵業を始められることだろう。そんな自信に満ちあふれていた。独立を確保するのが長年の夢だったのだ。
 そのマークがいま、休暇を取ってダートムアにいた。趣味の鱒釣りにひたすら励み、自分の人生を鳥のように見渡し、これまでの仕事ぶりを評価し、将来について偏りなく考える機会を享受していた。探偵としてだけでなく、人間としてどう生きればいいのだろう。
 マークは人生の岐路に達していた。いや、正しく言えば、それまでひとつのドラマだけ演じられていた人生の舞台に、新しい興味と新しい個人的な計画が登場しそうな分岐点である。いままでは仕事が生きがいだった。戦後はまた闇と疑惑、犯罪にかかわる事件のお決まりの捜査で忙殺され、そうした謎を解くことにのみ、ふたたび人生の目的があり、ハードな職務以外にはなんの私的関心もなかった。どんな内面生活、どんな精神的願望や利己的目標もないという点では、手錠も同然の機械だった。
 この勤勉さとひたむきな献身ぶりがつかのま、報われたのだ。いまやものの見方を広げ、人生の高みを見つめ、機械だけでなく人間であろうとする立場にともかく置かれたのである。
 戦時中の特別手当てと、フランス政府からもらった莫大な謝礼のおかげで、通帳を調べると五千ポンドの貯金があった。おまけに給料もたっぷりで、昇進の見込みも大きかった。遠からず定年退職する上司がいたのだ。頭がいいだけに、仕事だけで得られるものが人生のすべてだとも思えず、このところ脳裏をかすめるようになったのは、教養や、人間らしい娯楽、さらには、妻と子供たちがいれば増えそうな興味や責任のことだった。
 女性経験はほとんどなかった。いささかでも愛情を芽生えさせてくれる相手は皆無だった。それどころか、二十五歳のときには自分にこう言い聞かせたものだ。結婚を計算にいれてはいけない。なにしろ職業柄、危険の多い人生だし、それをともにする女性がいたら、おのずと必要以上に複雑な道を歩むことにもなる。マークは考えた。恋愛は集中力を弱め、人並みはずれた自分の特別な才能を鈍らせ、もしかすると、すばらしい選択肢を目前に、そろばんをはじいたり、文字どおり臆病風に吹かれたりする、そんなきっかけになることもあるかもしれない。そうなったら、せっかくの能力も影をひそめ、将来の立身出世にも響くことだろう。ところが、それから十年後のいまは、ふと、まるで反対の思いに駆られていた。もし自分にぴったりの若い女が現れたら、心に深く感じるものがあってもかまわない。いや、いっそこちらから口説いて結婚してもいい。だれか教養のある女性が、数多い知識分野で自分の無知を減らしてくれないものか、と夢想するのだった。
 これほど異性を受け容れようという気になっている男なら、ふつうはそう待たされることもなく、願いをかなえるのに必要な反応が示されるものだ。ところが、マークは昔かたぎの男で、戦争が生んだあだ花のような女にはまったく魅力を感じなかった。そういう女たちの美点は認めていたし、頭の鋭さに気づくことも多かったものの、マークの理想はレトロ志向で、いまとはべつの、ひと昔前の女性像にあった。夫の亡きあと、死ぬまで家を切り盛りしてくれた自分の母親のような相手が好みだったのだ。母はマークの理想の女性だった。落ち着きがあり、思いやりもあり、信頼のおける存在。いつも息子とおなじものに関心を示し、自分よりも息子の人生に心をかたむけ、息子の進歩と勝利に生きがいを感じていた母。
 マークが本心から求めていたのは、夫と一心同体になることをいとわず、自分の個性をこちらに押しつけようとも、独自の家庭環境をこしらえようともしない相手だった。母の考え方はどんな妻のものとも大きくかけ離れていたにちがいない、いくらその献身ぶりが申し分なかったとしても、と察知するくらいの分別がマークにはあったし、いままで妻帯者と接した経験から、目あての女性は戦後の世界にはいないのではないか、とも疑っていた。が、それでも古風な女ならまだきっといる、という希望を捨てきれず、胸のうちにしまっていた。やがて、もしかしたらそんな伴侶がどこかで見つかるかもしれない、と思いはじめた。
 この一年は激務がつづき、いくぶん過労気味だった。しかしダートムアには、機会があるたび健康と休息のためにやって来た。プリンスタウンのドゥシー・ホテルにまた宿泊するのはこんどで三回目。そこで旧交を温め、六月から七月まで気長に毎日、周辺の渓流で鱒釣りを満喫するつもりだった。
 ほかの釣り人たちに新たな興味を喚起するのが楽しかった。釣りに出かけるのはいつもひとりだったが、夕食後、ホテルの喫煙室で釣り仲間の輪にくわわるのが日課だったのだ。話がうまく、その場でそれを聞いてくれる相手にこと欠かなかった。けれども、いっそう楽しかったのは、たまに刑務所の看守たちと過ごすひとときだった。というのも、プリンスタウンという名の荒野のまん中には、灰色の薄汚れた一角を占める刑務所があって、興味ぶかい有名な犯罪者が多数収容されている。そこにはマークが「通してやった」囚人も何人かいて、マークの個人的な刻苦精励と度胸のよさのおかげで服役中だった。刑務官の面々には聡明で幅広い経験の持ち主も少なからずいて、刑事の仕事と密接にかかわる情報をたっぷり提供してくれることもあった。マークにとって犯罪心理が、その強烈な魅力を失うことは決してなかった。ふしぎな出来事を目撃したり、無名の服役囚の話を聞いたりした看守が論評ぬきに伝えてくれるエピソードもたくさんあり、その解釈がホテルにいるマークの頭の中でふくらんでいった。
 鱒釣りはといえば、大物の住む穴場が見つかり、六月中旬のある日の夕方、マークはルアーの餌食にしようと釣りに出かけた。閉鎖された採石場に小川の水が流れ込み、深い淵になっているところがある。そこにダート・アンド・ミーヴィ川やブラッカブルック川、ウォーカム川などで毎日のようにあっさり釣れるものの大半より大ぶりの鱒が二、三匹、身をひそめているのを発見したのである。
 その秘密の養魚池があるフォッギンター採石場には、ふたつの道からたどり着くことができる。もともとは大戦中、プリンスタウンの捕虜収容所の建設資材として石を切り出すため、荒野のふところにある花崗岩地帯を掘削してできた道があり、それがさらに無人の区域へと伸び、一キロほど先の幹線道路につながっている。その草が生い茂った道に面して家が二、三軒 ―― 昔の採石作業員たちの使っていた住居がのこっている。が、巨大な採石坑のほうは、久しく閉鎖されたままである。それが自然の力で美しい風景へとさま変わりしていた。ただ、この名所を見物に訪れる人はいまではめったになく、もっぱら野生動物のすみかとなっている。
 マークはしかし、荒野を横切る直通の道をたどってここへやって来た。プリンスタウンの鉄道の駅を左手に見ながら出発。顔をしっかり西のほうへ向けた。眼前には、空から降りそそぐ燃えるような光を背景に、暗い荒れ地が広がっていた。日は沈みかけ、金色の大きな火の玉に、薄紫と濃い紅の格子模様があしらわれ、はるか遠くまで燃え立っている。目を転じると、そこかしこで、大きな花崗岩にふくまれる石英の結晶が光をとらえ、夕暮れどきのヒースの薄暗い茂みから、きらきらと輝きを上空に放っていた。
 と、西の炎を背にしながら、バスケットを手にした人影が現れた。夕べの川面に浮かぶ鱒の姿を頭に描いていたマーク・ブレンドンは、軽い足音に顔を起こした。その先を、いままで目にしたこともない美しい女性が通りすぎていく。この思いがけない佳人の出現にマークは茫然となり、先ほどまでの空想は吹っ飛んでしまった。荒涼とした大地から、魔法のように異国の花がふと頭をもたげたのか。それとも、おりしもシダと岩に当たって深みを増す夕日の光が入り乱れ、燃え上がってこの麗しい娘へと姿を変えたのか。細身だが、背丈はそれほどでもなかった。無帽で、鳶色の髪の毛がひたいの上にふんわり盛り上がり、もつれた毛先があたたかい落陽を浴び、燃える後光のように頭を取り巻いている。みごとな色だ。秋になると、ブナやワラビに日が射し込んで、この上なく豊かな色合いへと変わる。あの、たまにしか見られない光景を完璧に映しだしていた。そして目は青かった。リンドウのように青い瞳。その大きさにマークは心を打たれた。