ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Salman Rushdie の “Quichotte”(1)

 きのう、今年のブッカー賞最終候補作、Salman Rushdie の "Quichotte"(2019)を読了。さっそくレビューを書いておこう。 

Quichotte

Quichotte

 

[☆☆☆☆] 西洋の文化史を図式的に振り返ると、古典古代の昔から、人間はおそらくいつも混沌とした状況に置かれ、人生はつねに不条理だった。キリスト教プラトニズムという精神的基盤はあったものの、〈神の死〉以降その基盤は崩れ、もはや混乱と不条理しかなく、人は実存の不安に駆られながら生きている。本書は、こうした現代の精神状況をカオスの国、アメリカの現状に即してみごとに活写した秀作である。題名どおりセルヴァンテスはもちろん、メルヴィルやイヨネスコなどの純文学からミステリ、映画をふくむSFまで過去の諸作を援用しながら、現実をフィクション化すると同時にフィクションを現実化。虚実ないまぜの世界にあって、インド系の老人キホーテが人気トークショーの美人キャスター、サルマにひと目惚れ。みずから空想して生み出した少年サンチョともども、サルマの住むニューヨークに出かける。移民への憎悪と偏見が渦巻き、世界そのものが崩壊しつつあるなか、キホーテは愛の探求を通じて善なる自己の実現を目ざし、自分の存在を疑うサンチョはその証しを得ようとする。一方、そんなコミカルで波乱に満ちた聖杯物語を綴る作家ブラザーも登場。創作中のキホーテ譚は、愚劣なポピュリズムによって文化が自壊し、シュールで不条理な世界、フィクションが人生の現実となった〈何でもあり〉の今日のアメリカを諷したパロディー、パスティーシュなのだと自作を解説する。ブラザー自身、長らく音信不通だった妹や息子との確執により家族の崩壊を体感。キホーテと、やはり疎遠だった彼の妹、あるいはサンチョとの関係を描くうちに現実とフィクションの区別がつかなくなり、やがて予感した自身の死に世界の終末を重ね合わせる。このように本書は、メタフィクションの技法を重層的に駆使して現実の混乱をアレゴリカルにフィクション化し、現実世界とパラレルワールドの一体化により、人生の不条理、実存の不安を鮮やかに描き出した作品である。これにもし上述の文化史的背景、さらには理想主義の栄光と悲惨という近代の宿命が盛り込まれていれば、さぞ壮大な傑作となったことであろう。