ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Elif Shafak の “10 Minutes, 38 Seconds in This Strange World”(2)

 わが家で奇怪な事件が起こった。ぼくのヘアートリートメントと電気ひげ剃りが忽然と消えてしまったのだ。ひげ剃りにいたっては前夜に使ったばかり。それに気づく前、髪を洗ってからヘアートリートメントを使おうと思ったら、三日ほど前に戻しておいた位置にない。思わず、目を疑った。うっかりべつの場所にしまったのかもしれない、と所定の棚の近辺を探してみたが、どこにもない。キツネにつままれた思いでさらに探しているうち、なんとひげ剃りも見当たらないことに気がついた。ほぼ同じところに置いていたものだ。
 たまたま帰省中のドラ娘が、やはりいつも近くにあるヘアードライヤーを使用したので、何気なく持ち帰ったのかと思い連絡したところ、そんなものには手を触れていない、きっと勘違いだろうから、もっとよく探せ、とにべもない返事。
 ひげ剃りを使ってから外出したことはあるが、空き巣に入られた形跡はない。金品についても異常なし。そもそも、ヘアートリートメントとひげ剃りだけ盗んでいく酔狂な泥棒なんているわけがない。
 その後、収納棚をはじめ思いつくかぎりの場所を探しまわったが、きょうにいたるも未発見。いったいどこに、どうして消えてしまったのだろうか。気味がわるい。怪事件のせいかどうか知らないけど、血圧も急上昇。どなたか似たような経験をお持ちのかた、真相に心当たりのあるかたはいませんでしょうか。
 まさか今週読んでいる本とは関係ないだろうな。今年の全米図書賞最終候補作、Julia Philips の "Disappearing Earth"(2019)である。冒頭、カムチャツカ半島のペトロパブロフスクで幼い姉妹が若い男に連れ去られる。次の章から、それが失踪事件として扱われ、あいまいな目撃証言がひとつあるだけで、手がかりはほとんどない。
 こう書くと一種のミステリ小説のように聞こえるが、たぶんちがう。事件はやがて背景に退き、街のうわさ話として出てくる程度。章ごとに主人公が入れ替わる連作短編形式で、脇役が主役になったり、その逆だったり、ずっと脇役のままだったり、多少なりとも関係のある人物同士が登場。第一話以外、すべて若い女性たちの微妙に揺れ動く心理が描かれる。いや、中年女性もいたかな。とにかく、なかなか面白い。
 今年のブッカー賞最終候補作である表題作も、最初は奇妙な話だった(☆☆☆★)。

 なにしろ、たしかに死んだはずの女が、まだ死んでいないかのように自分の過去を振り返るのだ。それがやがて、タイトルの10分38秒とは、心臓停止から脳死にいたるまでの〈生存時間〉であったことがわかる。そのあいだ女の回想は、誕生の瞬間から脳死までカウントダウン式に進む。それを〈生と死の中間領域〉の出来事と見なすなら、2017年のブッカー賞受賞作 George Saunders の "Lincoln in the Bardo"(☆☆☆★★★)と似ている。 

 が、あちらが「マジックリアリズムの極北とも言える作品」だったのに対し、本書のマジックリアリズムは設定がわかれば、べつにどうってことはない。「読み物としては面白い、という程度」。もしかすると、ロングリスト止まりのうちで、もっと出来のいい候補作があったのかもしれませんな。
 Elif Shafak 自身の作品としても、前にも書いたとおり、2008年のオレンジ賞(現在は女性文学賞)候補作、"The Bastard of Istanbul" のほうがずっといい(☆☆☆★★★)。 

  久しぶりに彼女の名前を見て期待していただけに、今回は残念でした。
(写真は、モン・サン=ミシェルで見かけたカモメ。今年の夏に撮影)

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