ビンゴー・キッドの洋書日記

英米を中心に現代から古典まで、海外の作品を英語で読み、論評をくわえるブログです

Loius-Ferdinand Céline の “Journey to the End of the Night”(1)

 ゆうべ、Loius-Ferdinand Céline の "Journey to the End of the Night"(1932, 英訳1983)をやっと読了。さっそくレビューを書いておこう。 

Journey to the End of the Night (New Directions Paperbook)

Journey to the End of the Night (New Directions Paperbook)

 

[☆☆☆☆★★] 聞きしにまさる怪作である。第一次大戦の戦場にはじまり、パリからアフリカのジャングルの奥地、ニューヨーク、デトロイト、最後にまたフランスと、青年バルダミュが各地を転々とするうちに出会う人物はほとんどフリークぞろい。極端に誇張、デフォルメ化ないし戯画化された各状況のなかで猛烈な毒舌、罵詈讒謗の嵐が吹き荒れ、愚劣で醜悪な人間および人間社会の不条理と狂気が浮き彫りにされる。ありとあらゆる正義や理想、体制、権威、常識が否定され、嘲笑される。愛もまた愚弄の対象であり、ナンセンスなドタバタ劇を通じて愛の虚妄がコミカルに描かれる。それはまさしく混乱と実存の不安に満ちた現代人の危機的な精神状況そのものであり、痛烈な文明批判であり、理性への反逆であり、そこにはさながら人類全体への呪詛と憎悪が込められているかのようだ。が一方、バルダミュは毒舌の嵐のなかでバルザック的な人間喜劇の冷静な観察者という立場をつらぬき、猥雑なアンチヒーローでありながら、時には心優しい女に惹かれ、友人を見捨てたことで良心の呵責をおぼえるなど、純情な愛すべき青年でもある。「夜の果てへの旅」とは、不条理と狂気の世界の周遊という外なる旅であると同時に、バルダミュが自分自身をふくむ人間の非合理的な心の闇へとわけいる内なる旅でもあるのだ。おのれの内外の醜悪さを見すえる彼の目はどこまでも透きとおっている。本書に渦巻く「呪詛と憎悪」とは、(もしかしたら動物的な本能で)皮相浅薄な理想主義にむけられたものではないだろうか。